重箱のすみ

アイドルとの距離感の取り方は、いつまでたっても難しい

ジャニーズ文化と "Me,We,Now"

先日発売された、TVガイドPERSON最新号の、横尾渉さんインタビューを読みました。この雑誌は少々お高めではありますが、まさに名の通り「人」に注目して、その人の目標や信念など深いところまで掘り下げたインタビューをしてくれるので、とても満足感があります。今回も楽しく読ませて頂きました。

去年11月の田口さん脱退発表だったり、年始からのSMAPのもろもろだったり。色々なことがある中で、私自身も色々なことを考えました。普通の人だったら、今の仕事が自分に合わないと思って転職活動をしたり、違う会社に行きたいと思って辞表を提出することはよくあること。それを止める権利は他人にはない。究極を言えば、アイドルだって同じであって。ましてや、まだ社会のことを何にも知らない10代の時に飛び込んだ世界に、これからもずっと身を置き続けると覚悟するのは相当なこと。自分の人生にふと迷いが生じる時があって当たり前だと思う。

でも、だからこそ、私達が望むことと、アイドル本人が望むことが合致するっていうことは、奇跡のようなもので、当たり前って思っちゃいけないんだなって最近すごく感じます。そんなことを考えていたところだったので、横尾さんのインタビューでの、『グループの大事さも、グループあってのソロ活動ってことも身にしみて分かる』『キスマイありきってことは絶対に忘れちゃいけない』っていう部分を読んでグッときました。今、一番嬉しい言葉です。

 

TVガイド PERSON VOL.42

TVガイド PERSON VOL.42

 

 

さて、この横尾さんのインタビューの中で、一点気になるところがあった。それは、インタビュアーの方が、『いつからか横尾さんは自分を解放したというか、荷物を下ろしたのかなという気がする』と問いかけていた。それに横尾さんは『勝手に自分で荷物を背負っていたんですよ、"俺がやんなきゃ"って』と答える。さらにこう続けた。

横尾:そんなにしっかりもしていないのに頑張ろうとして、いつしか自分で自分にプレッシャーをかけていた。多分、"最初"から何やっても出来るねって褒められたかったんだと思う。

――厳しい世界で生きてきて、"できない"という選択肢がなかったのかもしれないですよね。そうじゃないと、生き残れないって。

横尾:そうですね。でも、いろんなバラエティーをやらせてもらう中で思い知ったんですよ。俺、できないじゃんって。だからと言って、できないことが必ずしも悪いわけじゃなく、時に笑いになるってことにも気付けた。"最初からできなくてもいい"と思えたのは大きかったですね。

長めに引用してしまいましたが、続きはお読み頂くとして……

「最初から何やってもできるねって褒められたかった」とか「できないという選択肢がなかった」というのは、横尾さんの性格だけではなく、きっとJr.の頃というのは、そういうことが求められていたんだろうなと感じた。「最初から完璧であること」が正解だったんだろうなと。しかし、その『ジャニーズの美学』が、一般人にとっては高い壁に思える時もあるのだ。

(ここからは、ジャニーズにさして詳しくもない一般人の意見なので、事実とは違っているところも多々あるかとは思いますが、「こう見える人もいるんだな」くらいの感じで捉えて頂けると幸いです)

 

ある話を思い出した。

去年の4月20日、私はたまたまテレビで、堀江貴文氏が出演していた「しくじり先生」という番組を見ていた。ご存知の方も多いと思うが、しくじり先生は、過去にしてしまった自分の失敗談を自虐的に笑いを交えて語り、視聴者に同じ失敗をしてほしくないということを伝えるというコンセプトで作られたバラエティ番組だ。そこで堀江氏は、『世の中をなめすぎて逮捕されちゃった先生』という、だいぶセンセーショナルな肩書き(笑)で登場する。時代の寵児として華々しく活動し、企業買収や選挙出馬など様々な大きなことをやってのけるが、2006年に証券取引法違反で逮捕される。その頃のことを振り返り、堀江氏はある理論を紹介した。

それは「Me,We,Now」理論というもので、相手に自分の目標ややりたいことを伝える際には、<Me(私)、We(私達)、Now(今)>の3点を踏まえて話をするべきだという。以下は、放送の内容をまとめたニュース記事を引用。

「Me We Now 理論」の「Me」は自分を指し、自分の話をして相手との距離を縮める意識のことで、「We」はあなた(相手)と自分を指し、相手との共通点を見出して連帯感を作る意識、そして「Now」とは、今、自分がやりたいことを最終的に相手に訴えるのだという。
かつては堀江氏も、この理論を理解しておらず「私も『田舎出身で、苦労して大学に入って』とかっていう話をしなきゃいけなかった」と反省しつつ説明を続けた。堀江氏が「上場して巨万の富を得た、いけ好かないIT社長」と不信感を持たれ続けたのもそれが原因だったと自己分析した。
堀江氏は、当時は真逆の自分像があったといい「Now」だけで周りに伝わると信じていたことを明かし、当時のジレンマを語ると、改めて「Me We Now」の大事さを強調した。
そして堀江氏は、負け顔を見せれば見せるほど、バリアが無くなり、誰もが声をかけやすくなる、と力説すると「これだけ壮大にしくじった私が言っていることなので、間違いないです」と強調していた。

堀江貴文氏が“しくじり”を振り返り「負け顔」を見せることの大切さを力説 - ライブドアニュース

 

ちなみにこちらは別記事だが、堀江氏いわく、これはバラク・オバマ大統領が、自身の大統領選挙の際に使ったテクニックでもあったのだそうだ。

オバマ大統領はいかにして米国国民に語りかけたのかを、彼らは僕に理論立てて説明してくれました。「MeとWeとNow」、つまり、「私、私たち、そして今」という構成で語りかけたんだと。

バラク・オバマという人は、表面的に見るとスーパーエリートですよね。家はお金持ちで、高等教育を受けて、上院議員で、まあ見た目もよくて、非の打ちどころのない人間に見えるのですが、国民にそう見えてしまったら共感を呼べない。そこで、何ら特別な人間ではなくて、マイノリティ出身で、いろいろな苦労もして、ここまで上り詰めたんだ。みんなと同じ米国国民であり、そして今、米国は何をすべきかを訴えたわけです。

僕も表面的に見れば、進学校を出て、東京大学に入って、在学中に会社を始めて、うまくいって上場して、転落した人という、パブリックイメージはそんな感じでしょう。でも、それだとやっぱり伝わらない。

ホリエモンが、今どうしても伝えたいこと | 企業戦略 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

 

私は、しくじり先生のこの箇所を見ていた時、とても納得した。堀江氏が時代の寵児として颯爽と登場し、様々なチャレンジをしていた頃、私はまだ高校生だったのでなにがなんだか詳しいことはわからなかったけれども、大企業に買収を仕掛けたり、選挙に出馬していたりして「すごい自信家」「なんか派手な人」「私とは違う」という印象を持ってしまっていた。もしそこで、上記の引用箇所のように、『私も田舎出身で、苦労して大学に入って……』という話をされていたら、彼に対する見方が全く変わったかもしれない。

 

なぜ横尾さんのインタビューを読んでこの話を思い出したのかというと、ジャニーズは「苦労しているところを見せない」というのが、一種の美学として成立しており、そこに至る過程を見せないから、この「Me,We,Now理論」を使って人を引き込むことができないと感じたからだ。

ジャニーズの皆さん、特にJr.の皆さんは、舞台やコンサートがほとんど全てで、そこで失敗するなんて許されない。その上、どんなに努力をしているかというのは直接的には明かされない。でも一般的には(特にテレビのバラエティは)そうではなくて、結果よりも、成長していく過程を見ることそのものがエンターテイメントになっていると思う。それは、舞台やコンサートが始まる時点で完璧に仕上げていなきゃいけないJr.の皆さんの価値観からすると、全然違うんだろうなって思ったのだ。

もちろんジャニーズのファンのみなさんは、彼らが努力して、もがいて、必死に成長しているのをわかっている。彼らが容姿だけで人気を集めているわけではないことをわかっている。さらに、その努力を表に出さないことが美学だという文脈をわかっていて、それも含めて応援している。けれど、一般層からしたら「隙がない」人には親近感を覚えにくいんですよね。そこに大きなギャップがある。

私は世間のジャニーズに対する風当たりは、少々厳しすぎるように感じられるんだけれども、その一因はこういうところにあるんじゃないかと思うのだ。「ジャニーズなんていけすかない」と思っている方々は、彼らが血のにじむような苦労をしているなんて知らない。恵まれた容姿で、恵まれた環境で、それを武器に女の子達にキャーキャー言われている人生楽勝モードのチャラチャラした人達だと。だからそんな人達が、「みんなに愛される人になりたい」とか「国民的アイドルになりたい」って言うと、「何を生意気な……」と思ってしまう。"Me" と ”We" が共有されていない時点で、これから何をやりたいかという "Now" を突然言われても、困惑してしまうのだ。

私も、キスマイを好きになるまではこの世界についてよく知らなかった。ジャニーズに入ったらみんなデビューが約束されているものだと思っていた。だから、Jr.の中でもデビューできる人達なんて一握りだということ、辞めていく人達もたくさんいること、ずっとこの芸能界で活躍できる未来なんて一切確約されていないこと、それでもそこを目指して頑張っている姿に惹かれるのだということ。本当に最近知ったばかりだ。先ほどの堀江氏やオバマ大統領の話のように、こういう話がもう少し表に出てくれば、一般層は「私と同じように苦労してるんだ、大変なんだ」って感じて、もう少し風当たりも弱まるんじゃないだろうか。最近はとみに、AKBを筆頭に「成長していくストーリー」を見せて、それで売るスタイルが定着しているように思える。特に女子アイドルは、総選挙の裏側とか、シングル選抜の発表とか、レッスンの様子とか、もう余すところなく裏側を公開されていて、その本人達の苦労や努力に惹かれて応援しはじめるケースも大いにある。

ジャニーズの美学を否定するつもりなどもちろんない。けれども、私はこの、「最初から完璧であることを求められる」というジャニーズスタイルが、今後どれだけ世間に通用していくのかなというのは、非常に興味深いところです。*1

 

ちなみに、これは余談ですけれども、SMAPがそういう強い風当たりを乗り越えて国民的人気者になった要因は、「ジャニーズらしさがないジャニーズ」というだけではなくて、結果として「Me,We,Now」を世間に伝わる形でやり遂げてしまったということもあるような気がします。もちろん、メンバー自身が「僕達こんなに苦労してきたんですよ」なんて表立って言うことはない。けれど、デビュー曲で1位を取れず、ジャニーさんに怒られたという話はもはや超有名。それ以外にも、メンバーの脱退、逮捕者が2人出てしまうという騒動、さまざまな困難がありながらも一つひとつそれを乗り越えていく姿が、意図しなくても広く知れ渡ってしまい、結果として一般層に対しては「ストーリーを共有する」ということが出来たというのも、成功の一因だったのかもしれないなと思います。*2

Kis-My-Ft2は結成からCDデビューまで6年。雑誌のインタビューなどでは、その長い下積み時代について触れられることが多いけれども、本人達がそれについて「大変だった」とか「苦しかった」と言っているのは、あまり見ないような気がします。私は好きになった当初、その「ストーリー売り」をしないところにびっくりしました。もっと苦労したことを全面に出しても良さそうなのに。でも、最近になって何となくわかった気がします。その理由は苦労を見せないという美学に加えて、「色々な先輩のもとで勉強させてもらった大切な時間*3」のような発言も多くて、きっと美学だけではなく、本当にそうやって、プラスに捉えてるんだろうなと感じられて。そういうところが、キスマイの好きなところだなぁって思います。

照れ屋さんの集まりなので(笑)、"Me"、"We"を語ることはあまりないけれども、そんな彼らがこれから成し遂げたいと思っている"Now"を、見逃さないようにしたいと思っているところです。

 

*1:もちろん、「世間一般の人なんか理解できなくてもいい」という考えの方もいらっしゃるとは思いますが、私は常々「アイドルにはファンもファンじゃない人も大切にしてほしい」と思っているタイプの人間なので

*2:参考:「After SMAP ~SMAPがジャニーズを変えた3つのターニングポイント~」 - 小娘のつれづれ

*3:直近だと、女性セブンの二階堂さんがこういうことを言っていたと思います

アイドルは誰の方を向くべきか?

キスマイを好きになって約1年、本格的にブログを始めるようになってから約10ヶ月。自分の胸の内だけじゃ処理できない思いをアウトプットする場所がほしい、というだけで始めたのですが、こんなに多くの方に読んで頂けるようになるとは思っていませんでした。でも、いつもなんだか偉そうに色々と書いていますが、私は自分がブログに向いている人間だと思ったことは全くなくて。自分の考えていることをまとめるのにも、文字にするのにも時間がかかる。やっと一つの事柄について書き終えて更新しても、このリアルタイム性が重視される世の中ではだいぶ乗り遅れていることの方が多い。そして何より一番向いていないなと思うのは、私は他の人の意見に左右されまくってしまい、自分の意見やスタンスを確定させることが大変だということです。大体どんな事柄に対しても、あっちの意見もわかる、こっちの意見もわかる……そうやってふらふらしてしまう私は、一体自分の「核」というものはどこにあるのか、自分でもよくわかりません。全くもってブログに向いていない。よく続いてるな(笑)

ただ一つだけ、どんな意見を目にしても、どんな騒動が起こっても*1、自分の中で一つだけ変わらない、信念のようなものがあります。それは、『アイドルにはファンも大切にしてほしいけれど、それと同じくらい「ファンじゃない人」も大切にしてほしい』、ということです。「アイドルには~」と書いたけど、これはどのジャンルでも同じではないかなと思う。だから広く言えば、アイドルでも、舞台俳優さんでも、お笑い芸人でも、全部含めて「芸能人には~」と言った方がいいかもしれませんね。このスタンスだけは絶対に変わらない。けれど、なぜこう思うのかということを今まで全く考えてきませんでした。当たり前すぎて深く考えたこともなかった。それに気付かされたきっかけは、一連のSMAPの騒動でした。

あの1月18日の生放送後、一応今後もSMAPとしての活動が続くだろうということで一旦幕引きのような形になった。けれどももちろん、これで全てが解決したわけではない。多くのマスコミは、「ジャニーズ残留派の木村 vs 独立派4人&飯島」という構造を作り出し、特に中居と木村の仲が険悪だという雰囲気を出している。様々な記事を目にすると、ここはどちら寄りの意見かというのがよくわかったりして、私はこの対立構造を作り出している空気に本当に嫌気がさしています。中居と木村の仲が実際どうなっているかなんて本人達にしかわからない。それなのに、本当にいるかどうかもわからない「関係者」の伝え聞く話ばかりで、露骨にイメージを下げようとしている。さらに、大手スポーツ紙が『木村が取り計らって4人を事務所に残留できるようにしてくれた』という論調で書いているせいで、ネット上の世論は大きく4人に味方するようになり、その結果、一気にジャニーズ事務所批判・そして木村批判が増えていくようになった。「ヒーロー気取りで気に食わない」「あの生放送の会見のときだってセンターでドヤ顔だった」「木村は裏切り者のくせに」……などという厳しい意見が相次いでいる。でも、本当にそうだろうか。

もちろんこれも根拠のない私の考えだけれど、木村だって木村のやり方でSMAPを守ろうとしていたんじゃないかと思うのだ。一部では、ジャニーズ事務所SMAPの権利を全て持っているので、事務所を離れたら「SMAP」と名乗ることも、今までの歌を歌うことも出来なくなってしまうのではないかと言われている。それを阻止するために木村は木村の考えで動いていたのではないかと思うのだ。昔慎吾が言っていた。『中居くんと木村くんは言うこともやることも正反対。でも、どちらも正しい』と。一例を挙げれば、2011年に放送されたNHK『プロフェッショナル仕事の流儀』では、SMAPに密着して、スマスマのビストロSMAPの収録前の舞台裏の様子を取材していた。そこでは中居は、タバコを吸いながら誰とも喋らずに集中しており、それと対照的に、木村はスタッフさん達と談笑していた。この映像を見て、慎吾の言っていることが少しわかったような気がした。一人集中して番組の流れを確認する中居も、談笑して現場の空気を和ませる木村も、正反対のようでどちらも正しいのだ。意図的にどちらか一方からしか見ない人には、「中居は社交的ではない」とか「木村は本番前に緊張感が無さ過ぎ」と、思われてしまうのかもしれないけれど。

ファンは、今までそういう場面を何度も見てきたから、きっと今回だって、中居と木村はそれぞれのやり方でSMAPを守ろうとしているんじゃないかっていうことがわかっている。もちろん本当のことなんてわからないけれど、そう考えてそう信じている。だから一部では、「マスコミがどう言おうと私達はSMAPのことをわかってるから」「ファンだけがわかっていればいい」という雰囲気が広がりつつある。確かにその通りなんだけども、でも私は、やっぱりファンでない人にもわかってほしいって思ってしまう。前回のブログにも書いたけれど、SMAPはやっぱり、「ファンじゃないけどなんか気付いたらSMAPが人生の近くにいた」っていう一般の人を味方につけてきたからこそここまで大きくなってきたグループだからだ。

……でも、自分でわからなくなってしまった。なんで私は、この期に及んで、「ファン以外にもわかってほしい」って思うんだろう。きっと今後も、本人達がこの騒動についての詳細な経緯を説明することはないだろうし、そうなると多くの人に植えつけられてしまった「木村は裏切り者」というイメージを完全に払拭するなんて難しい。芸能人を応援することなんて、極論を言えば自分が満足すればいいわけで、なのに、どうして他の人にもこの人達を好きになってほしいなんて思うんだろう。

今まで考えたこともなかった。だから考えてみました。で、どうもしっくりくる表現が見つからなかったのですが、一応の結論が出ました。

私が、 『アイドルにはファンと同じくらい「ファンじゃない人」も大切にしてほしい』って思うのは、単純に『私の好きな人にはより多くの人に愛されて幸せでいてほしいから』っていうシンプルな理由なんだと思います。

 

本格的にキスマイを追いかけるようになって、世界が変わりました。楽しいこともたくさんあったけれど、その一方で、世間の人は予想以上に「ジャニーズ」に対して厳しい見方をしているのだということも知りました。実力もないのにテレビに出ているとか、チャラチャラして努力を知らないとか、事務所の力で優遇されているだけだとか。そういうことを言う人は、元からフラットな目で見ていないのかもしれない。けれど、それでも私は悲しくなってしまいました。好きな人は、多くの人に愛されて幸せに生きていてほしいんです。そういう厳しい目で見ている人達にも、いつか伝わってほしいなって思うんです。以前から度々言っていますが、長く活動を続けていくためには、濃いファンを獲得するのももちろんですが、「ファンじゃないけど結構好きだよ」と言ってくれる一般人を増やしていくことも大切だと思うから。そうやって、「好き」と「嫌い」できっぱり2等分するような感じではなくて、色々なレベルの「好き」があって、グラデーションのようになっていくのが理想だと思っています*2SMAPはその立場をある種確立させた人達だと思います。

ちなみに、キスマイに堕ちた一番の理由もそれでした。彼らはアイドルなのに女心がわからなかったり、頑張りが空回りしたり、良かれと思ってやってることが失敗したり。努力している姿やカッコ悪い姿を見せるのは、もしかしたらジャニーズの中では御法度だったのかもしれないけれど、 そこを全面的に見せてくれることで、「ファンじゃない人」にも親近感が生まれ、訴えかけているように感じられたのです。趣味が細分化してディープになって、皆が共通の好きなものが生まれにくい時代に、ここまで「ファンじゃない人」の方を向いている人達に出会えるというのは衝撃でした。それが、飯島チルドレンとしてSMAPのやり方を踏襲していたからそうなったのか、それとも元々本人達にそういうメンタリティがあったのかは、私にはわかりませんが。ただキスマイの場合は、「ファンじゃない人」に受けそうな自虐ネタトークをやりすぎて、「もう!ファンの気持ちわかってるの!?」と言いたくなってしまうこともあるけどね(笑)。それも、もう少し経験を積んだら落とし所がわかってくれるんではないかなぁと、期待したいところだけれど。

もちろんキスマイに限らず、他のジャニーズのグループもそうやって「ファンじゃない人」の方を向いている場面もたくさんあると思います。けれど、今回の騒動で、ファンじゃない方に訴えかけるのは相当難しくなってしまったように思えます。ジャニーズはブラック企業だとか前時代的だとか。まあ確かにそう思うところもあるんですけれども(笑←)。何よりも、ファンを「あんな騒動があったのにまだジャニーズを追いかけているなんて」という目で見るでしょう。好きな人と嫌いな人の二極化。そうなると、いよいよグラデーションなんて言っていられる場合ではなくなる。ジャニーズが好きな人達は一部の人達だけで、その囲いのなかでは幸せな空間が広がっているかもしれないけれど、その囲いを一歩出たら世間には冷たい目で見られるような。そうなってしまったら、いくら熱狂的に愛してくれている人達がいたとしても、それは本当に幸せなことなのだろうか?

 

本当は、もういいんじゃないかなって思う時もある。SMAPは今まで、十分、「ファンじゃない人」にも訴えかける活動をしてきた。だからもうこれからの人生は、ファンの為だけに生きてくれてもいいんじゃないか。例え不仲だと言われようが、裏切り者だと書かれようが、本人達の中で結論が出ているならファンは応援するよ、ファンはわかってるよ。それでもいいんじゃないか。

でもきっと、SMAP自身がそれを望まないだろうと思う。特に震災後、彼らは被災地を中心として日本全国を飛び回り、その土地土地の人達と触れあって勇気と元気を与えてきた。のど自慢やパラリンピックのサポーターも務めた。もはやほぼ慈善事業だ。自分達が会いに行くことで、笑顔を見せてくれる人達、喜んでくれる人達がどれだけいるかをよくわかってくれているはずだ。それはもちろん、ファンも、ファンじゃない人も、どちらも大切にする活動を続けてきたからだ。だからやっぱりSMAPには、この諸々も全部含めて、いつかファンじゃない人にもわかってもらえるような道を探していってほしいなぁと期待してしまう今日この頃です。

 

*1:なんか物騒な言い方になってしまいましたが適切な表現が見つからなくて。すみません・笑

*2:そのあたりの話はここでちょっと書きました→「好き」のグラデーション

Let It Be ―ゆるゆるSMAPファン13年目の私が今思うこと―

皆様は、「Let It Be」と聞いて、何をイメージされるでしょうか。

多くの方は、ビートルズのあの名曲を思い浮かべられることと思います。けれども、私にとっての『Let It Be』とは、SMAPの31枚目シングルの存在感の方が大きいです。これをお読みの方の中には「えっ、まずSMAPにLet It Beなんて曲があるの?」とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。確かにあんまり目立たない曲ではあるんですが、ビートルズのあの名曲とは正反対っていう感じの、ノリが良くてスピード感に溢れていて、ダンスもカッコイイとてもいい曲なんですよ。実はそこまで古い曲じゃなくて、2000年2月発売。あのメガヒット、『らいおんハート』の一作前のシングルです。

Let It Be SMAP - 歌詞タイム

 

SMAPの結成は、1988年。私はその後に生まれたので、SMAPがいない時代を生きたことがありません。だから小さい頃からSMAPの曲はいつもすぐそばにあり、当時の記憶はほとんどないけれども、『青いイナズマ』『SHAKE』『夜空ノムコウ』などの名曲は自然と耳に入ってきていました。

そんな私が、初めてSMAPを「好きだ」と認識したタイミング、それがこの『Let It Be』を聞いた時でした。当時の私は10歳か11歳くらいで、クラスのお友達との人間関係にちょっと悩んでいた頃。きっかけは覚えていないのですが、なぜかスマスマを見ていて、その時に流れてきたこの曲に、当時の私はとてもとても励まされたのでした。ただ、今、歌詞を見てみると、別にそんな応援歌的な歌詞でもないので、何がそんなにハマったのか自分でもよくわからないんですが……(笑)。でも多分、【真実に理想通りになれやしない運命】っていう歌詞が、すごく響いたんだと思います。<人生は思い通りにならない>という、それこそ大昔から言われてきた普遍的な事実だけれど、小学生の私が大人に近づいていく過程で、初めてそれを提示され、認識したタイミングだったのかもしれません。あとは、【泣けるほど純粋に占いなんて 怠け者の運命】っていう箇所も、意味はよくわからなかったけれどとても好きでした。当時の私では上手く言葉で表現できなかった解釈を、今の私が表現するとしたら、「占いをして先のことを憂いているばかりの人は怠け者だ。だから行動しなければいけない」という感じでしょうか。

とにかくそんな訳で、この曲から私は、どっぷりとSMAPの世界にハマって行きました。その頃はおこづかいも大してもらえなかったため自分でCDを買えず、さらに家族に「SMAPが好きになったからCDを買って」と言うのもなんだか恥ずかしかったので、ビデオ(当時はまだビデオテープ!)にスマスマを録画しておいて、曲の部分を再生して、その音声をカセットテープに録音して、そのテープを毎日毎日聴いていました。そして、人生で初めて買ったCDは、その次のシングル『らいおんハート』。人生で初めて買ったアルバムは、その翌年に発売されたSMAPのベストアルバム『Smap Vest』。Let It Beには【好きな映画や 好きな音楽とかに 影響されすぎて 今を見失うなよ】という歌詞があるのですが、私はその曲に惹かれて今を見失うくらいハマってしまったのです。こんな歌詞がある曲なんて全くもってズルい。罪作りなものですねぇ。

そこから、一番ハマっていた時期は2006年の『ありがとう』発売時くらいまで。特に2008~2011年くらいは、他のジャンルに軸足を移してしまったこともあり、ほとんど彼らのことを見てこなかった*1。離れていた時期はあったけれども、2011年の震災後、テレビで何度も勇気づけてくれたSMAPの姿に、改めて彼らのすごさを実感しました。現場に行ったことがあるのは、一番最近の2014年のコンサート、「Mr.S」だけというお茶の間ゆるゆるSMAPファンなんですけれども、それでも、これだけ長く一つのグループを好きで居続けることが出来たこと、そしてそれが日本を代表するスーパーグループであったというのは、とても幸せなことだなと思います。その後色んなジャンルのオタクをしたけれど、ベースは彼ら。人生で初めて「好きなものにハマる」ということを教えてくれたのがSMAPでした。

 

……ここからは、イチゆるファンの私見を書かせて頂きます。あくまでも私が感じたことなので、事実とは異なる点もあると思いますし、他のSMAPファンの方々がみんな私と同じように感じていらっしゃる訳ではもちろんありません。現時点ではわからないことばかりで、あまり憶測でものを言うべきでないのはわかっているのですが、それでももどかしくて何か書きたくて。それをご理解頂ければ幸いです。

水曜日の朝、突然飛び込んできたニュース。今まで解散報道は何度かあったけれども、昨年の文春騒動があってからは状況が違う、リアリティが違う。今回はマジかもしれないと思った。そしてついにNHKにまで取り上げられる。ジャニーズ事務所が事実を認める内容のFAXを出した。「たしかに、この件について協議・交渉がなされている事実は存しますが、そのような状況下であるため、詳細についてのお問い合わせについてはお答えできません」だそうだ。まず「独立問題」っていう言い方がなんか嫌だ。なんだ「問題」って。自分達が招いた事態じゃないか。

……と、感情的になってしまうところもあるのですが、それを一旦置いておいて、できるだけ冷静に状況を振り返ってみたいと思います。

そもそもこの「派閥問題」と言われる一件が公になり始めたのは、ちょうど1年前に発売された週間文春の記事*2。取材中に、副社長のメリーさんは、飯島さんに対して厳しい言葉を浴びせるという衝撃的なものでした。では、この派閥問題というのが本当にあったのか。それはこちらの記事がとてもよくまとめてくださっていました。

ジャニーズ事務所派閥騒動とはなんなのか SMAPファンの立場から - WEBスナイパー

SMAPファンの立場から書かれたこちらの記事にとても共感しました。補足させて頂くと、そもそもSMAPは飯島さん担当という時点でイレギュラーであり、ハブられてしまう立場だったのだと思います*3。多くのグループがメリーさん・ジュリーさん管轄の営業一課。そしてSMAPは島流し的な庶務二課といったようなイメージ。だからメリー&ジュリー*4の中では、SMAPは元から眼中になかった。でもこの時点では、SMAPと他のグループがあまり共演しないことを、一般の視聴者は「SMAPは特別だからだろうね」「格が違うってことなんだろうね」と理解し、あまり疑問に思うこともなかったんだろうだと思います。内部にとっては庶務二課だけど、その実力や影響力が大きいがために、外部にはそうとは思われていなかったと。

ところが2011年頃から、Kis-My-Ft2Sexy Zoneなどの担当を飯島さんがするようになり、SMAPとの共演も多くなった。すると、SMAPが共演するグループとしないグループというのが明らかになってくる。そこで若いジャニーズファンや一般視聴者、マスコミにもその異常さが知れ渡るようになり、いつからか「ジュリー派」と「飯島派」と呼ばれるようになってしまった。ただ、以前から見てきた方にとっては、後輩たちは島流しの庶務二課になぜか入ってきた新人のようにも思えたのではないでしょうか。だから私は、「派閥」と言うよりも、「後輩たちはSMAPと一緒だったがゆえに、営業一課と一緒に仕事ができなかった」と言う方が自分の感覚に近い気がします。SMAPファンの中にも、「SMAPがハブられているのは諦めているけど(仕方がないけど)、後輩たちがかわいそう」「SMAPが他のグループと共演出来ないのは前からだったのに、急に派閥と言われるようになって違和感」という意見もいくつかお見かけしたことがあります。

そしてそれは、メリーさんにとっても同じだったのではないかと推察します。庶務二課が営業一課と同じ格で張り合っていると思われている、なんて予想外だった。だから「派閥があるなんて恥」「派閥が本当にあるんだとしたら飯島を辞めさせる」などと語気を荒げたのではないかと。でもさぁ、思うんですけども、そんなに嫌なら、そもそも後輩たちを庶務二課に行かせなければよかったのに。なんでキスマイ達は飯島さん担当になったんでしょう。SMAPだけを担当させておけば、世間がその異常さに気付くことも遅くなり、派閥なんて騒がれることもなかったのかもしれないのに。後輩たちがここまで人気出ると思っておらず、対等に肩を並べる派閥になるなんて思ってなかったってことなんでしょうか。事務所の内部のことなんて所詮私にはわからないことだらけですが、中でもこの点が一番気になるところです。

 

そんな訳で文春のインタビューでは、メリーさんは「派閥があるならすぐに飯島を辞めさせる」などと言っていますが、その後すぐに表立った進展はなし。それが1年経って、飯島さんが辞めることが確定となり、その情報をキャッチした週刊新潮が、2016年1月14日発売の紙面に掲載。しかしその前日、1月13日に、日刊スポーツとスポーツニッポンが掲載。この2紙のうち、日刊スポーツはジャニーズ側からのリークではないかと言われているようですね。本当かどうかはわかりませんが、確かに日刊スポーツの方は特に、事務所及びメリーさん寄りの記事が多いと感じます。例えばこんなの。*5

SMAPは、アイドル王国ジャニーズ事務所の中で孤高の存在だった。

事務所が主催するビッグイベントなどに他のグループがこぞって集まる中、距離を置いて参加しないことが多かった。毎年、大みそかに所属アイドルが総出演して東京ドームで開催するカウントダウン公演に出演したことは実は、1度もない。また、自分たちのレギュラー番組でジャニーズタレントと共演したり、他のグループなどの番組にゲスト出演することも、ほぼなかった。また、SMAPのメンバーが、連続ドラマや映画に主演した作品に、ジャニーズの後輩アイドルが出演することは、ほとんどなかった。他の人気グループとは明らかに一線を画した活動を続けていた。

(中略)徐々に“王国”の中で居場所を見つけていく流れが生まれつつあるようにも見えたが、長い時間をかけて出来上がった「距離」を縮めることはついにできなかった。

(アイドル像変えたSMAP、後輩台頭も孤高のまま 日刊スポーツ:2016年1月13日)

「孤高の存在だった」って言うとなんか聞こえはいいですが、その内実は共演させてもらえなかった、避けられていたっていう部分が多かったのではないでしょうか。それなのに、「他の人気グループとは明らかに一線を画した活動を続けてきた」とか「『距離』を縮めることはついにできなかった」とか、SMAPの方から距離を置いてきたことを決定づける書きぶりです。素晴らしいテクニックですね(苦笑)

もう一個。

(飯島氏が)タフな交渉力やタレントを守り抜く剛腕も業界では有名だ。それは事務職時代、デスクとしてメリー副社長の秘書的な役割も果たし、その仕事ぶりを見てきたからこそ身に付いたスキルと指摘する芸能関係者もいる。お手本にした副社長と対立し、ジャニーズ事務所を離れようとしている今の状況は、何とも皮肉に思えてならない。

(対立するメリー副社長の下で仕事覚えたSMAPマネ 日刊スポーツ:2016年1月15日)

これ、本当でしょうか。もちろん真偽など私にはわかりませんが、客観的な証言がない状態でのこの書き方はいかにも「お手本にしてきた人を裏切って独立しようとしている恩義のない人」というイメージをつけようとしているように思えて、この21世紀の情報が溢れている時代にここまで露骨な印象操作をする新聞社があることにびっくりしています。すごいな(←褒めてはいないよ)

では、最初に情報を掴んでいたと思われる週刊新潮はどうなのかというと、メリー寄りではないものの、中立的でもないし、飯島寄りでもないように思えます。記事の内容は、「飯島氏は自主的にやめるのではなくパワハラによって解雇された」としているものの、後半は「飯島氏と一緒にSMAP全員独立する予定だったのに、直前で事務所に残ることを決めた木村は裏切り者だ」という論調です。これじゃ、何でもいいから木村を叩きたいっていうだけなんじゃないだろうか。うーん、どこも納得できる記事がない。

 

そんなことを考えていた昨日18日の昼、事態は思ったよりも早く動いた。突然入ってきた情報。SMAP本人が、生放送で自らの心境を語るということだった。この時点では私も楽観的な見方で、きっと具体的な説明はなされないだろうけれども、5人がこれからもSMAPとして活動しますって笑顔で言ってくれることを期待していた。でもそれでうやむやになったら嫌だなぁ、ちゃんと責められるべきは責められ、正されるべきは正されてほしいなぁ……。

……ところが、実際、昨日のスマスマで流れた映像は、そんな楽観的な私の期待を、全部ひっくり返されるものだった。

5人はカメラを向いて話している、ちゃんと生放送で話している。けれども、その5人が語りかけているのは、ファンや視聴者ではないと思った。SMAPの言葉が私の胸に届かない。こんな感覚は初めてだった。今までは、例えテレビ画面越しでも、東京ドームの天井席くらい離れたところでも、彼らの言葉が私の胸に届かないって思ったことなんてなかったのに。

どんなに苦しい状況だって、希望を見失わない人達だった。それを疑ったことなんてなかった。でも昨日のあの生放送は何だ。苦しそうでつらそうで、何かに脅えているような表情で。昨日の放送で、経緯は何も語られなかった、何もわからなかった。ただ一つわかったのは、SMAPという国民的アイドルでさえ、時代を作った先駆者でさえ、日本のトップスターでさえ、事務所の上層部と揉めたら、重い制裁を受け、見せしめのような謝罪パフォーマンスをさせられるということだけだった。

この恐怖映像が世間に与えた影響は計り知れない。世間の常識を打ち破り、新しい時代を作ってきた、「希望」のシンボルのような人達が、ほんの一週間のうちにそれが全部はがされた状態で世間に晒されるなんて、誰が予想しただろうか。あの映像を見た多くの人に、「結局世の中、最後は権力につぶされるんだ」って、無力感と敗北感が広がったんじゃないだろうか。この会見を主導した人達は、これで本当に世間が全員「よかったねよかったね」って言ってくれると思っていたのか?思っていたなら、あまりにもセンスがなさすぎる。そんな人達しかいないのか。

 

13日から、自分のスタンスがぐらぐらに揺らいでいました。色んなファンの方に、色んな意見があって、そのどれもが一理あると思えたから、納得する部分があったから。そしていわゆる「派閥」問題に関しては、どちらか一方だけに非があるというような意識は極力持たないようにしようと心がけていた。いちファンとしての何となくの印象だけれども、最初から色々なテレビ局にガンガン売り込んで売っていく飯島さんと、長い目で見てじっくりタレントを育てて一気に花開く時を待つジュリーさん、それぞれ一長一短があるし、どちらがいい悪いは一概には言えない。事実、SMAPだってジャニーズにいるということでの恩恵を受けていた部分も色々とあったはず。もちろんあの壮大で迫力ある煌びやかなコンサートだって、様々な大型タイアップだって。そして何より「ジャニーズなのにジャニーズっぽくない」ということこそが人気の源泉というのがあっただろうから。そこを無視しては語れないと思っていました。

でも、昨日の生放送を見てはっきりと固まりました。派閥とか、今までの扱いとか、そういうの抜きにして。私にとっては、あの謝罪会見パフォーマンスだけで、これ単体で、十分にブチ切れる理由に値します。私はブチ切れました。SMAPに公共の電波を使って謝らせて、こんなに苦しそうな表情を全国放送した屈辱的な仕打ちは、いかなる理由であれ許されるものではない。信じられない。

 

……長々と書いてきてしまいましたが、客観的に見て今一番おかしいと思っているのは、どのメディアもこの問題の根本的なところを伝えていないと感じられるところです。

SMAPが今まで事務所内でどんな立場だったのか。なぜ飯島さんは辞めるのか。本人の意思なのか、社内パワハラ・いじめの結果なのか、それとも解雇なのか。解雇なのだとしたらその理由は?

なぜメリー&ジュリーは彼女を気に入ってないのか、マネジメントの方針の違いなのか、私怨からなのか。そんな中で副社長が一社員を自分とは違う方針だからと言って解雇できるのか、していいのか、それは法律上許されることなのか。同族経営のメリットとリスクとは何か。もちろん、全ての責任がどちらか一方にある訳ではなく、双方が歩み寄れる方法はなかったのか。何より、こんな内部の事情が世間に知れ渡ることは会社の損失ではないのか。

そもそもSMAPは本当に事務所を離れようとしていたのか。もし本当にそうならそこまで至らせた要因は何なのか。そして、芸能人が事務所を移籍するということがこんなにも難しいなんて、人道的な観点からして許されていいんだろうか。

この辺りの問題が全然解決していないのに、「SMAP存続決定してよかったよかった」みたいなテンションにはとてもなれません。どこか報じてくれるメディアはないものだろうか。 ないだろうなぁ、特に最後の芸能界の在り方に切り込むところなんかは…。こんなこと報じるメディアは全芸能事務所を敵に回すようなもんだろうしねぇ。

今のところ、私の考えていることに近いのはこの辺りの記事でしょうか。

 

bylines.news.yahoo.co.jp

 

www.bengo4.com

 

 

アイドルなんて夢を見せる世界なのだから、本来、こんなに綺麗じゃないところは見せるべきではないし、当然ファンが全部知る必要などないと思っている。けれど、もうここまで表に出てきてしまったから、この際ならこの機会に徹底的にやってほしいと思っているところもあるのだ。

以前も書いたけれども*6、芸能事務所は普通の企業やメーカーとは違う。その企業の方針に対して納得できないと感じる点があっても、「商品を買わない」という点では抗議が出来ない。CDを買わなかったり、チケットを取らなかったりしても、自分一人のその行動だけでは何の影響力もないし、その上、自分が好きなアイドルが輝いているところを見られなくなって、自分が損をするだけだ。だから今回も、きっと多くのジャニーズファンの皆様が「これはおかしい」って感じただろうけれども、きっと事務所の損失的には大したことにはならないんだろうなって思う。それがわかっているからこそ、ここまで強硬な態度がとれるんじゃないかな。

「それも含めてジャニーズ事務所だから」と、全部ひっくるめて愛していらっしゃる方は、それはそれでいいと思うんですけれども、でも、「おかしいし納得できないけれどこのやり方に従うしかない」って苦しい思いをしているファンの方もきっといるはずだ。もう何度もそういうことが繰り返されてきた。そしたら、ここが、もしかしたら最初で最後のチャンスなんじゃないか。様々なことを乗り越え、成し遂げてきたSMAPが最後に挑むのは、ジャニーズ事務所、ひいては他の事務所も巻きこんだ、芸能界改革なのかもしれない。もう、誰が悪者かを決めるのではなく、ここからだ。「SMAPですら何も変えることはできなかった」というあの世間に絶望感をもたらした生放送から、そこからもう一度立ち上がって何かを変えることが、SMAPならできるんじゃないかって、思ってしまう。

どんな結末になるのかはわからない。でも今一番に思うのは、まずは、今までのSMAPSMAP自身の手で取り返してほしいということだ。あの生放送の姿は、今まで見てきたSMAPではなかった。色々無責任に期待する内容を書いてきた後に何なんだけど、それを第一優先にしてほしい。どうか、今までのSMAPに帰ってきてほしい。

 

 

最後に。

はっきり言って、ファンは大丈夫だと思うんだ。「公式は中居だ、中居の言葉を待て」っていうのが常識になっているし、木村のラジオでの「信じてついて来てください」とか、この前の生放送がおそらく本来のSMAPの姿ではないことはみんなわかっているから。

けれど、世の中には、スポーツ新聞に書いてある真偽不明な内容を全部信じている人もいるかもしれない。「事務所に楯突くなんてありえない」とか「SMAPがワガママ言ったせいで対立したんでしょ」って思う人もいるかもしれない。どんな理由があれ揉め事が表面化してる時点でプロ失格、と思う人もいるかもしれない。ジャニオタさんの中には、「私は平和に自担を愛でてたのにSMAPがひっかきまわしたせいで!」って思っている人もいるかもしれない。

仕方ないこととは言え、そういう厳しい目はきっとあるだろうし、私はそれを思うとどうしても胸が痛いんだ。世の中の全ての人に好かれる人なんていないけれども、できることなら少しでも理解してくれる人を増やしてほしい。「ファンだけが彼らのことをわかってればいい」という存在にはなってほしくない。なぜならSMAPこそが、今まで「ファンじゃない人」を味方につけてきたからこそ、ここまで大きくなってきたグループだからだ。別にファンじゃないけどSMAPの名前は知ってる、別に好きじゃないけど学校のお楽しみ会で歌を歌ったことがある、別に好きじゃないけどたまたまテレビをつけたらスマスマやってて面白かった……。そうやって、「別に好きじゃないけどなんか気付いたらSMAPが近くにいた」って、きっと多くの人にとってそういう存在だから。だからこそ、そういう人達にわかってほしいんだ。

でも、錯綜する情報の中で真実を見極めるなんてもう不可能に近いし、ただでさえ日本中を巻き込んだ大騒動になっているわけで、その時点でマイナスイメージがついてしまっている。それを払拭するのは本当に大変なことだと思うんだけど、でも、SMAPならできるかな。できると信じてもいいかな?

 

そんなことを考えながら、Smap Vestに収録されている2曲目、Let It Beを聴いてみた。こんなにじっくり聴くのはそれこそ16年ぶりかもしれない。

 

Let It Be Your Life 不器用で 下手でも 愛しい人生さ

Let It Be All Right 賢くは やれないよ

 

もう、SMAP自身のことにしか聞こえない。もっと上手くやってほしかった。もっと器用にやってほしかった。でも、綺麗じゃなくて、カッコ悪くて、ひたすら現実に即しているからこそ、これだけ幅広い多くの世代の人に支持されるようになったのかもしれない。

 

Let It Be=あるがままに、なすがままに、自然の成り行きにまかせろ

きっと最後はなんとかなるって、無責任に信じちゃってもいいかな?

  

 

Smap Vest

Smap Vest

 

 

 

(参考にさせていただいた記事やブログ様一覧)

SMAP、ジャニーズやめるってよ - Everything you've ever Dreamed

SMAPのあれやこれや - over and over

飯島マネ今月退職決定!でも恩知らずはメリー副社長のほうだ!SMAPだけでなくジャニーズが今あるのも飯島のおかげ|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見*7

35年勉めて幹部もやった会社を辞めることになったので、愚痴る。*8

Let it be の意味を分かり易く説明

Let it goとLet it beの違い。実は全然違う? | 個別指導学院Core -コア- | 西川口の個別指導塾

 

*1:ちなみに私がSMAPゆるファン13年と言っているのは、この3年間を除いた年数を申告しています

*2:http://www.johnnys-watcher.net/article/412747661.html

*3:もちろん本当のところはわからず、飯島さん側が敢えて共演させていなかった可能性もあるかもしれませんけれども

*4:←コンビ名

*5:リンクを貼ってしまうとアクセス数を伸ばすことになってしまって嫌なので、貼らないで本文引用だけで済ませますね

*6:http://mgmcnlife.hatenablog.com/entry/2016/01/10/233033

*7:こちらは少々客観性に欠け、過激な表現が多いのが残念。でも、当時の社会的背景と照らし合わせながら飯島さんの功績を整理している点ではよくまとまっていると思います

*8:とても面白かった。嫉妬を覚えるほどの抜群のセンス。私にはこういう感覚が全然ない、羨ましい

ジャニーズ楽曲大賞2015に投票しました

楽曲部門

1位:ドキドキでYEEEAAAHHH!! (Kis-My-Ft2

「超でっかい夢」とか「シュッビドゥバ ドゥドゥビドゥバ」とか、軽くてチャラくて意味不明な歌詞だけど、みんなで騒いで盛り上がれる。キラキラしてハイテンションなサウンドなのに、ふとした瞬間に何故か感じる切なさ。楽しさに満ち溢れているこの時間は今だけで、その儚さを全員が共有していて、それがわかっているからこそ踊り狂う。まるで祭りが終わる直前の花火のような曲だなと感じて大好き。

 

2位:やっちゃった!! (舞祭組)

アイドルは普段雲の上の存在だけれども、舞祭組として活動する時の4人は、私達の住んでいる一般世界まで降りてきてくれているような気がする。「毎日大変だよね、いろいろあるよね」「けど明日も最初は笑顔で始めようね」。その全力パフォーマンスの姿によって、私達と同じ世界で、同じように戦っているように感じられて、だからこそ、彼らの言葉が信じられる。舞祭組は一般市民の中にいるヒーローのようで、そのイメージを体現してくれた曲だと思う。

 

3位:ユーモアしちゃうよ (SMAP

激動の時代の中で、「幸せって何なの」と悩み苦しんだ時に、目の前に咲く花の美しさに気付いたり、身近な人の笑顔に癒されたり。ゆったりとしたテンポで、ささやかな幸せが何よりも大切だと歌ってくれるその言葉が、疲れた心にじんわりと染み込んでくる。押しつけがましくなく、人生の隣にそっと寄り添ってくれるような曲。

 

4位:華麗なる逆襲 (SMAP

例の文春騒動があった後に「さあ本当の敵は誰だっけ/そう考えても判らない」という歌い出しの曲が発売されるなんてタイムリーが過ぎる。しかしそのおかげで、「踊れない」などとキツイことを言った某氏への私の憤りが昇華されたような気がした。「ご覧あっちゅう間よ一生は」という歌詞に示される通り、きっと彼らは目先の細かいことは気にしておらず、もっともっと高みを目指していくのだろうなと感じている。このガツガツギラギラとした曲が、優しくゆったりと流れるような「ユーモアしちゃうよ」と両A面なのがまたとても良い。

 

5位:KISS&PEACE Kis-My-Ft2

初めて聴いた時は、ストレートすぎてくすぐったくなる歌詞だし、キスマイに似合わないんじゃないかと思っていた。けれども現場で聴くと、曲の説得力がぐっと増す。穏やかな曲調の中に、「君に伝えたいよ まだ明日はわからないけど僕ならここにいる」と、これからもステージに立ち続けてる決意を表明してくれていると感じられる箇所があるのもまたぐっと来るポイント。

 

MV部門

愛が止まるまでは (SMAP

衣装、背景、細部に至るまで、黒と赤で統一されたシックな色彩。切なさを感じる落ち着いた大人な雰囲気の中で、後半から5人が走り続けるシーンの疾走感が一層映えて気持ちいい。SMAPは愛が止まるまで走り続けるということを視覚的に体現している

 

未音源化部門

Beetle  (草なぎ剛

 

現場部門

KIS-MY-WORLD

 

コンビ部門

千賀健永・二階堂高嗣

今回のアルバムで披露してくれたDouble Up、バラエティで見せる自虐的な一面を封印し、洋画のようなオシャレな空気感でカッコよくパフォーマンスしてくれたのがとても嬉しかった。グループ最年少コンビがちょっと背伸びして大人な雰囲気に挑戦しているところも微笑ましくて、今だからこそ出せる良さだと思う。

 

自担部門

千賀健永

 

 

 

……というわけで、初めてジャニーズ楽曲大賞に投票してみました。

ずっとSMAPが好きだったけど、「ジャニオタ」という自覚もなければ、ジャニーズのこと何にも知らなかったし、情報を積極的に集めてもいなかった。この催し*1の存在を知ったのは去年で、とにかくこの大規模な企画を個人で運営されているというところが本当にびっくりです。すごいなぁ。

5曲に絞るのも大変だったし、そこから順位を決めるのも大変でしたが、いろいろと考えて感想をまとめるのはとても楽しい作業でした。結果が楽しみです!

 

 

*1:催しっていう言い方はなんかしっくりきませんが笑

新年早々ネガティブだったのですが、少し元気を取り戻してきたので、今年もよろしくお願いします。

あけましておめでとうございます。

ご挨拶が遅くなってしまいましたが、昨年このブログに来て下さった皆様、本当にありがとうございました。たくさんの方に読んで頂いたこと、読者登録、スター、TwitterのRT、お気に入り、リプライ、とっても嬉しかったです。私が根はナマケモノの人間なので、更新頻度が高いブログではないんですが、お気に召して頂けましたら、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

……と、ここまで、仰々しく書いてきたのですが……今日書くのはタイトルの通り、あんまり楽しい話じゃないんです……すみません……。あっ、ちなみに担降りブログではないです。だいぶそれに近い雰囲気になってしまってると思うのですが(苦笑)

Twitterを見てくださっている方は、私が年末に、「書こうと思ってたのが全然終わらない~」みたいなことを言っていたのをご存知かと思います。それは何かと言うと、私が今まで書いてこなかった、「どうしてキスマイを好きになったのか」という話でした。時間が足りなくて書けなかったというのが一番の理由なのですが、それに加えて、自分の気持ちが前向きになれなかったということもありました。

 

何となく、自分の気持ちに違和感が生じてきたと感じたのは、12月の終わりごろ、もう2015年も残り数日というところだった。どうにも自分の気持ちが、キスマイから離れてしまっているなと感じた。

キスマイBUSAIKUは、12/21の放送を最後に3週間お休み。キスマイ魔ジックも12/22の放送が今年最後。なんだか寂しさを感じる中で、TEGIWAというスペシャル番組はあったけれども、キスマイを見たいという気持ちがあまり満たされるものではなかった*1。 

寂しさを感じた一番の要因は、レギュラー番組がお休みの時期になり、お正月スペシャルもなかったから彼らの新しい姿を見ることができなかったという件なんだと思う。一気にキスマイを見る機会が減ってしまって、するとその一週間だけでも急に気持ちが冷めていくのが自分でわかってしまった。

その気持ちに輪をかけたのは、キスログの更新が少なくなって、彼らの生の声が聞ける機会が少なくなってしまったことを実感したからだと思う。

キスログの更新頻度が下がったのは、11月のことだからもう結構前だ。

mgmcnlife.hatenablog.com

この時に色々書いたのだけれども、実はこの頃は、「寂しいな、残念だな」とは思っていても、その気持ちを紛らわすことが出来た。レギュラー番組は変わらず放送されるし、さらに北山さんがサイレーン、玉森さんが青春探偵ハルヤ、宮田さんが子連れ信兵衛と、3人もドラマに出演していてどれもとても楽しかった。加えて、自分の仕事も結構忙しい時期だったので、毎日寂しさを感じる暇がないくらい充実していた。

けれど、年末年始になってその番組出演ラッシュが終わってしまった時に、キスマイに接する時間が一気に減ってしまったと感じた。そうすると、見て見ぬふりをしてきたキスログのことに関しての気持ちがわきあがってくる。以前だったら、こうやってテレビで見られない時期も、キスログで報告してくれる何気ないことに心躍らせることができたのに。そう思うと、寂しさよりももどかしさや憤りを感じるようになってしまった。本当は、あまり気にしたくなかったんだよ。自分の力でどうにかなるものではないことに対して憤るのは、何の生産性もないし、さらに無力感を痛感するだけだし。

「芸能人(アイドル)は商品である」というのはよく言われることだけれど、普通の会社が作る商品と決定的に違うところがあると思う。それは、「会社の方針に対して抗議したいと思っても『商品を買わない』という手法では抗議できない」という点だ。例えばある会社のチョコレートのお菓子が大好きだったとする。ある日、そのお菓子を作っている会社が何かしらの不祥事を起こしたとする。自分はそんな会社にお金を払いたくないと思った場合、その会社のお菓子を買うことはせず、別の会社のお菓子を買うことで抗議の意思を示すことができる。大好きだったチョコレートのお菓子、違う会社のお菓子に乗り換えよう。名残惜しいけれども、ちょっと食感違うけれども。

でも、芸能人は、商品と言えども代えがきかない。事務所の方針に対して抗議したいからと言って、違う人を好きになることはできないんだ。「似ている人」じゃダメなんだ、顔が似ていても、性格が似ていても、歌い方やダンスの癖が似ていてもダメなんだ。その人しかいないのだから。そうすると抗議の意思を示す方法がない。CDやDVDを買わなければ、好きな人の姿を見ることができないんだから、損をするのは自分だ。キスログの方針に納得していないからと言って、自分一人がジャニーズwebを退会したところで、運営側に何の影響もないし、ひいては自分が見られなくなるだけ、自分が損をするだけだ。見て見ぬふりをしていたんだけれども、ここでどうにも耐えられなくなって、このどうしようもないもどかしさに気付かされてしまった。

 

そんなことをうだうだ考えながら迎えた1月1日。人生で初めて、ジャニーズカウントダウンコンサートを最初から最後まで見た。全体的にはすごく楽しかったし、キスマイも可愛くて可愛くて、そしてローラーでドームを駆け回る姿が放送に乗ったのがとても嬉しくて。コンサート自体には全然不満はない、とても楽しかった…んだけれど。

上手く表現できないんだけれど、見ていて感じたことは、ジャニーズの歴史はとても長くて深くて、その「文脈」を知っている人でないと楽しめない部分も大いにあるんだろうなということだった。今から歴史を全て勉強するなんて無理だし、私はどうやってもこの魅力を最大限理解できることはないんだろうなって思ってしまって。いわゆる「派閥」の問題で、キスマイはあまり多くの先輩たちと絡む機会がない。大体SMAPばっかり。私はSMAPが好きだから嬉しいんだけども、でも客観的にみると、それは可哀想な事態だと常々思っていた。だから今回キスマイがカウコンに出れて本当に良かったと思うんだけど、その反面、今まであまりこういう場面を見たことがなかったということに気付かされた。私、何にも知らないんだなぁ。当たり前のことだけど、何にも知らないということを今まで自覚してなかったんだなぁ。

 

頑張らなければいけないのかもしれない、と初めて思った。

キスマイを好きになってからあっという間の一年間だった。リリース時期にはいっぱいお金飛んでいくし、忙しい時期にテレビ番組の録画消化するの大変だし、9月なんてそれまで一度も現場行ったことなかったのに3回も行った。色々あったけれど、「頑張って追いかけた」という気持ちは全然なかった。頑張ったのは仕事だけ。もともと別ジャンルでオタクをやっていたこともあって、「作品にはその努力の対価としてお金を落とすべき」と思っていたし、現場に行くことにも全然抵抗感はなかったからひょいひょい出かけて行った。だからひたすら楽しかった。10月ごろなんかちょっと色々ありましたが、その時にも自分の気持ちを整理するのに時間はかかったけれど、それも頑張ったという感覚ではなかったんだよね。

けれど今回初めて、彼らを好きでいるには頑張らなければいけないのかもしれないと思った。見れない時期が続いても自分の気持ちをキープしなければいけない。自分の力ではどうしようもないもどかしい事態に直面しても耐えなければいけない。ジャニーズの歴史を勉強しなきゃいけない。そうやって、頑張らなければ、ファンと言える資格はないのかもしれないって。 

2015年の一年間、本気で応援してきたつもりなのに、本気で好きだったのに。少し見れなくなっただけで、少し思うところがあっただけで、こんなに気持ちが引いちゃうなんて。私の「好き」はそんなもんだったのかなぁって。そしたら、別に無理して追いかけなくてもいいかって、もしかしたらここで終わりかなって、ちょっとだけ思ってしまったんです。

 

 

そんなことを考えながら、1月1日のお昼頃、届いた年賀状を整理していたら、なんとその中にキスマイからの年賀状がありました。私は、ファンクラブから年賀状が送られてくるなんて全然知らなかったので、本当に新鮮で、嬉しくて。さらに、そこに書いてあった千賀さんからのメッセージに私はさらにびっくりしちゃいました。

『明けても好きでいてね!』

……彼はそう書いていました。

いや、もちろん、わかってます。多分そんなに深い意味はなくて、「新しい一年もよろしくね」程度のことを彼なりの言葉で言い換えただけだと思う。思うんだけど、この、年が明けるタイミングでめちゃめちゃネガティブになってしまっていた私は、全部見透かされているって感じたのでした。大変だ、この人、離してくれないや。

前にも書きましたが、私は感情より先に頭が動いてしまって、余計なことをごちゃごちゃと考えてしまいます。でもその度に、千賀さんは絶妙なタイミングでメッセージを発信してくれて、難しい理屈なんていいから早く来いよと腕を引っ張られているような気持ちになります。今年もそんな感じでいくのかな。

 

もう一つ。今月7日発売、2016年2月号のduet。そのテキストで、「この一年ファンにやってほしいこと」は何かという質問があった。それに対しての横尾さんの答えが衝撃的だった。(以下要旨)

何かをやって頑張らなきゃいけないのは俺らだから、ファンの方にやってほしいことはないよ。今年もキスマイらしくゆっくり進んでいくので、温かく見守ってほしい。

まず、「キスマイらしくゆっくりと進んでいく」という箇所。えっ!?横尾さん、ゆっくり進んでるつもりだったんですか!?これで!?おそらく、デビューしてからの凄まじい躍進劇、快進撃はファンじゃなくとも認めるところであろうに、ゆっくり進んでるつもりだったんですか!?どういう感覚なんだ!?

まぁそれは一旦置いておくとして、冒頭の「頑張らなければいけないのは俺らだからファンにやってほしいことは特にない」という答えが、なんかもう衝撃でした。アイドルって「ずっと僕のことを愛して」とか「これからもついてきて」って言うのが普通だと思っていた。もちろんそういう言葉も嬉しい。自分の存在がちょっとでもアイドルの糧になるなら。けれども、それは時として負担になってしまう。今の私には、「何もやらなくていい」という言葉がとても響いた。

私、頑張らなくてもいいでしょうか。

頑張らずに、理想形を決めずに、自分なりの「好き」で、いいでしょうか。

 

そんな訳で、年末から年始にかけてひたすらグラグラしていた自分のスタンスがやっと確定してきたので、久しぶりにブログを書いてみました。まだ自分の気持ちが完全に戻ってないなぁと思うんだけど、うーん、どうなんだろう。キスブサ再開したり、KIS-MY-WORLDのDVDが発売されたりして、供給が多くなってくれれば、また変わってくるだろうか。まぁそれもあまり焦らず、ゆるりと待ちます。

今年の目標は、「頑張らずに好きでいること」にしようかなと、考えています。

 

*1:色々言いたいことはありますが、だいぶマイルドな表現にしています笑

彼らはこれからも時間を刻む ―映画『レインツリーの国』―

映画『レインツリーの国』、公開初日に見てきました。

私はその時、感想をこうツイートしました。

楽しいことばかりじゃない、うまくいくことばかりじゃない、でも人を信じるというのは素敵なことだよ、というシンプルなことを丁寧に描き切った繊細さに胸を打たれました。心ときめく国へ連れて行ってくれてありがとう!

一言で言えばこれが全てなのですが、一言で言い尽くせないほど色々と感じたこと、考えたことがありましたので、以下、長々と書いてみます。ちなみに私は、あえて原作を読まずに1回目を見てみました。そのため、映画1回目→原作読む→映画2回目→という流れで、いまこれを書いています。

普段ほとんど映画を見ないし、本も読まないし、有川作品もこれ以外読んだことがなかったし、キスマイに関してもまだまだ知らない事だらけ。そんな、全てに関して初心者の素人が、なんか好き勝手言っていますがご了承ください。そしてもちろん、内容にがっつりどっぷり触れていますので、ぜひ映画をご覧になってからお読みください。

あと、私は、「なんでもかんでも語る」というクセがあります。なんでもかんでも語るのは無粋じゃないか、それは心のうちにとどめておけばいいんじゃないか、と思われる方には、以下あまりおすすめしません、ごめんなさい、ぺこり*1

 

この映画が公開される前、11/11放送回の宮田・玉森のキスマイradioで、ひと足早くこの映画を観た宮田さんが感想を語っていました。宮田さんはこの時点で2回見ていたそうで、その感想を要約させてもらうと、『ネットで出会った2人が初めてデートするシーンで、1回目は普通に終わったけれども、2回目に見たときに、1回見て2人がどういう人かわかってるから、そのシーンでガチ泣き』という主旨のことを言っていました。私はリアルタイムでキスラジを聴いていたこの時点では、「あー、確かに、1回見てからだと2回目に見る見方が変わってくることってあるよね~!」くらいの気持ちでした。でも自分が見終わった時に、この宮田さんの感想の意味が本当に本当によくわかったし、正直この感想に全てが集約されてるんじゃないかと思うほどでした。

1回見て、伸とひとみがどういう人かわかると、2人が最初のデートの時にどういう思いだったのかが一層感じられるようになる。伸は父親に自分だけ忘れられてしまったという心のしこりを抱えて、ひとみは耳が聞こえないことによる様々なトラブルを経験して自分の殻に閉じこもっていて。けれど、そんな2人が色々な苦しみを忘れて自由にのびのびと自分の言いたいことを綴れるメールのやりとりを通して、今までの自分から一歩変わりたいと行動を起こす。2人はこのデートの時に既に、お互い様々なものを乗り越えて一歩踏み出して来ているんだ。それを知ってから2回目に見ると、何気ないデートシーンが、全然違う意味合いを持つように感じられるのでした。

私は見終わった後に、この映画がとても好きだなぁと思ったのですが、それはなぜかというと『人生の一部を切り取って見せてもらっている』という感覚だったからだと思います。ストーリー展開は時系列順に並んでいるわけではなく、最初のシーンは伸とひとみがメールのやりとりを始めるところから。当然、2人にはそれぞれの人生があって、今の性格になるまでに様々なことがあったわけだけれども、観客には2人が交流を深めていく中で少しずつ明かされていきます。

そして終わり方についても、こんなこと言ってしまうとひどい言い方ですが、この映画はハッキリ言って何にも解決していません。ひとみはこれからもきっと、会社では肩身が狭いだろうし、同僚の女性には「なんであの子だけ残業しなくてもいいのよ」なんてさらに陰口を叩かれるかもしれない。お父さんは娘を心配するあまり過保護になってしまうこともあるかもしれません。伸だって、父に自分だけ忘れ去られてしまったことを心のどこかにずっと引っかかったまま過ごしていく*2。そして2人はこれからも、お互いを思いやるがゆえに意見が食い違うこともたくさんあるでしょう。そういうところは全然描かれないし、観客に提示されない。

この映画は、恋愛のスタートからゴールを描いていたわけではなく、むしろ、紆余曲折あってやっとスタートラインに立ったところを描いているんだと感じます。まさに、『最後もやっぱり君』の1番の歌詞にある『旅をした愛し合った語り合いもした/そして信じると決めた』という部分が全てだと思う。2人がお互いを信じると決めた、それだけと言ってしまえばそれだけ。けれど伸とひとみはぶつかりながらも、丁寧に言葉を積み重ねて、お互いを理解し合っていった。その過程をしっかりと描いてくれているから、きっとこの先、何があっても2人は大丈夫なんじゃないか。そう思わせてくれるだけの説得力がありました。

いまからひどいことを言いますが、言うて2時間そこらのドラマや映画で、主人公たちの身に起こる問題がなんでもかんでも解決するわけはないと思う(笑)←ひどい。私の意見ですが、全てが解決する様子を描いてくれてハッピーエンドというのは、見ている側としては気持ちがいいけれど、あまりにもうまく行きすぎて嘘っぽく感じられてしまう。それならば、これから苦い現実も色々待っているだろうけど、それでも大丈夫だ、と思わせてくれる方がリアルに感じられて、私は好きでした。

伸が実家の美容室にひとみを連れて行った時の、伸のお母さんの言葉がすごく胸を打たれて、とても印象に残っています。

刻んで来た時間があったことは真実や。たとえ忘れてしもうても、なくならへん。

これは、家族でキャンプに行った時のことを思い出している伸とお兄さんに言っている言葉ですが、お父さんのことだけを指している訳ではなく、全編にわたって貫いているテーマなんだろうなと思います。彼らには今まで刻んできた時間があって、その中には良い思い出もつらい思い出もあったけれども、それを全て大切にして、乗り越えて。彼らはこれからも時間を刻む。伸とひとみにとって、2人の出会いは人生の大きな転機になるだろうけれど、これがすべてではない。そうやって、この映画内だけで完結するわけではなく、あくまで、伸とひとみの人生の一部を、たまたまこの一部を覗かせてもらった感覚。これからも時間を刻む2人は、今もどこかで私と同じように今という時間を過ごしているかもしれないと、そう感じられる丁寧な作りが好きでした。

 

ここからは、原作を読んでからの印象について。

映画を先に見てから原作を読んだんですけれども、正直な最初の印象は、「ぶっちゃけ伸もひとみも2人ともめんどくさいな!!」でした(笑)。 映画で見ているよりさらに。でもそうやって、めんどくさいなと思っちゃうほどに、自分が何に対して傷ついたのか、どうして嫌なのか、全てをしっかりと整理して言葉にして伝え合う2人。もしかしたら他のカップルなら、何となくケンカして何となく怒って、でも時間が経ったら何となく許し合うこともあるかもしれない。だけど「ちゃんとケンカしよう」という言葉の通り、何となくで通ることを通さない。だからこそ、さらに深くわかりあうことができるのかもしれないなと感じました。

そしてもう一つ思ったのは、これは映像にすることが結構難しかったんじゃないかなっていうことでした。劇中で、2人が実際に会ってデートしているのは、実はたった3回という少なさ。伸とひとみはメールのやりとりで出会い、その後もメッセージアプリを介しての文字のやりとりで話が進んでいく。だから小説ではこれでもいいけれど、これを映像にするとなると、画が変わらなくて単調な印象になってしまう。だからといって、2人にとって大切な「言葉」をやりとりするシーンはあんまり削れない。線引きがとても難しかったと思うんですが、それをとても自然に映像作品に変換されているなと感じました。

例えば、伸がひとみに髪を切ってみないかと言った後のひとみは、「今まで長い髪で補聴器を隠してきた。怖い気持ちもあるけど、伸さんが補聴器を見せた方が楽になるって言うならそうする」という思いになります。ここは、原作ではひとみはメールで伝える箇所だけれども、映画では伸の実家の美容室に2人で向かっている時に直接ひとみが語る。こうやって、原作では文字だけで伝えているところを、できるだけ実際に語らせている。さらにそれだけではなくて、映画ではそのひとみの思いを聞いた伸が何も言わずにそっと手を握る。ひとみの思いを受け入れ、励まし、支えるように*3。「言葉」を大切にしている2人だけれども、そっと手を繋ぐこの空気感はうまく言葉では言い表せない。メールの文字だけでは伝えられないこともある、それこそが2人が出会った意味なのだと感じさせてくれます。そうやって、原作のエッセンスを大切にしつつ、「映画だからこそ」できることを追求して、素敵な作品に仕上げてくださったと感じました。

 

最後に、主演の玉森裕太さんのことを。あえて、「関西弁」というワードを使わずに書いてみます。

玉森さんは、各種雑誌やインタビューでずっと、「伸さんと自分は全然違う」と言い続けていました。私はそれを聞いて、全てが違うわけではないと思っていて。ただきっと、一番違うところが、一番難しかったところなんだろうなぁと、まだまだファン歴の浅い私ですが感じます。それは「感情が表に出るか」というところ。

前項の、原作との違いのところにも大いに関係してくるのですが、この映画は文字だけのやりとりで話が進んでいくところが多く、淡々と進めていくだけでは単調になってしまう。だから、タブレットの画面を見てメールを読んだ後の嬉しさや驚きや悲しさも、大きく表現することが求められていたように思います。伸さんの感情の起伏が、そのまま、この物語の起承転結になる。それは普段、『いつもクール』とか『何を考えているのかわからない』と言われることもある玉森さんにとって、大きなハードルだったのではないかと感じます。実際、雑誌でも、監督にもっと表現を大きくすることを求められて、「自分が十分だと思っていても伝わらないことがあるのかと思った」ということを語っていて。

ただ、それを乗り越えた先に良いものができる。特に素晴らしいなと思ったのは、ひとみとの初デートのシーンでした。ひとみとのやりとりがなんだか噛み合わないし、会ってみたら今までイメージしていたひとみの印象と違ってちょっとワガママだし。最初は小さな違和感だったものが、少しずつ戸惑い、苛立ち、そして怒りに変わっていく。それが一つ一つきちんと伝わってくる。「字幕やったらなんでもええねんな!?」の言い方とかとても好きでした。求められるものは高くて、しかもやり過ぎてはいけないから繊細で。それが出来たことは、玉森さんにとっても大きな収穫だったのではないでしょうか。

玉森さんと伸さんの違うところはここでしたが、じゃあ似ていると思ったのはなにかというと、それはベタな言葉ですけども「芯の強さ」。一度決めたことはやり通すし、絶対に弱いところを周りに見せたくない玉森さん。伸さんも、ひとみと何回もぶつかりながらも、決して投げ出すことはせず、ひとみのことを理解しようと努力し続けた。自分が一度決めたことは絶対に譲らない。その決意やそれに伴う感情が表に出やすいかどうかという違いなだけで、きっと根本は同じなんじゃないかな。だからこそ、伸さんの、柔らかいのに強いという相反する印象を併せ持つところを表現できたのではないかと思いました。

 

 

 ここからは、さらに細かいことを箇条書き。

  • 最初はひとみさんのメールは、(西内さんではない)架空の女性の声で読まれている。けれど、伸さんが街行く人達を見ながら「ひとみさんはどんな声をしてるんやろ…」と感じて会いたいと思って、実際に会えることになった後のメッセージアプリのやりとりでは、今までの女性の声で文字が読まれることはなく、文字が表示されるだけ。架空の女性の声ではなくなるんですよね。ここで、本当に会えることになったっていうのを表現している感じがします。
  • これはどんなジャンルであれオタクの方だったら共感してもらえると思うのですが、ブログやツイッターを見て「この人と話してみたい!」って思う人と会った時って、映画を見に行くような間もなく、「あの作品いいですよね」「あれいいですよね私も好きです」って、ひたすら語る時間になりませんか?だから私、最初に映画見に行くってなった時、「えっ語る時間、そんなに短くていいの!?」って思っちゃった(笑)。原作では、本の趣味が一緒で、フェアリーゲーム以外にも色々な本について語り合っていましたね。映画でそういう場面がもう少しあっても良かったかも。
  • 基本的に、穏やかにゆったりと時間が流れ、それに合わせるように流れるように移り変わる場面の切り替えですが、一面黒い静止画*4が挿入されて切り替わる箇所が、おそらく3箇所*5。初デート前のシーン、映画館で伸がひとみの補聴器を見たシーン、そして伸の父親の手術後の病室のシーン。全部ストーリーの肝となるシーンで、それをより印象づけるように、バッサリ切り替わるようになっている。
  • 特に印象的だったのが、初デート前のシーン。その前のシーンでは、伸が会社で新商品を試食しながら会えるのを楽しみにしているという穏やかで色彩鮮やかな場面なのに、黒の静止画が挿入されて次の場面は、どんよりと暗い雨の風景、さらにけたたましく雨の降る音が鳴り響く。一回目見た時は気付かなかったんだけど、二回目に気付きました。これは、これから始まる初デートで起こることを予感させる不穏な空気を表現しているのかもしれませんね。
  • いちいち言うことでもないんですけど、ひとみの補聴器が見えて、一瞬完全に無音になるところ本当に素晴らしいですね。伸の「頭が真っ白になる」という感じを表現しているように思える。
  • ひとみが自宅に帰ってからのシーン。一回目に見た時、「おそらく原作でもここから視点が伸からひとみに変わるんだろうな」って思って、実際に小説を手にとって読んでみたらその通りだったのですごいなぁと思いました。この、「語り手が切り替わる」感じが映像でもちゃんと伝わってくる。
  • 初デートの後、両親と少し言い争いになって、自分の部屋に戻ったひとみが補聴器を外す。この場面で、ひとみの聞こえを再現するところ、これを劇中に何回も入れず、一回に絞ったのは英断ですね。印象に残るし、結局私はひとみさんの聞こえを全部理解することはできなくて、この劇中でもどこまで聞こえているのかわからないところがたくさんあって、それも含めて分かり合おうとする努力が大切なんだろうなって思うから。「だからこそ努力をしてるんだ」ですね。
  • この作品ですごいなって思うのは、伸とひとみだけではなく、登場人物全員に今までの人生があるんだというのを感じさせてくれるところ。ミサコさんですら、「今まで何でも許されてきたけど伸にハッキリ言われたことがグサっときた」という一言で、バックグラウンドを感じさせられますもんね。
  • 2回目のデートでひとみが帰ってしまった後の伸さんのメッセージ、「足のケガはどうですか?結構目立ってたから心配です」ってさー!!先に帰ったことを責めもせず、そうやって言うところ、爆モテコースだよねー!!なぜ恋愛偏差値低いのかわからん!!
  • 絵馬のシーンかわいいね。素直に「伸さんに私を選んで欲しい」と言えない乙女心。ひとみさんのめんどくささ表してる。
  • 原作にはない、美容室は大阪という設定で、大阪に移動するシーン。画が変わるように、ストーリーに展開をもたせるようにという工夫だと思うんだけど、新幹線の疾走感は、物語が大きく動く前の助走のようで爽快ですね。
  • そしてここ!問題はここですよ!ひとみが、社内で襲われたっていう話をしたときに伸は「そんな時に自分の身を守れて、偉かったなぁ」って言うんですよ。偉かったなぁって、なに!?爆モテコース再び!!恋愛偏差値が低いなんて嘘だ!!
  • こんな時に、「大変だったな」とか「大丈夫か」っていうのは聞いたことあるけど、「『偉い』と言われる」という概念が私の中になかったので新鮮すぎて本当にびっくり。私、正直、最後のシーンよりもここが一番キュンとしたシーンなんですけど、おかしい!?←多分おかしい
  • ……って、ここまで大騒ぎしといて何なんですけど、標準語の「偉い」と関西弁の「偉い」はちょっとニュアンスが違うのかな?
  • ショッピングのシーン、伸さんのファッションセンスは…あれでいいの……?(笑)

 

 

なんだかとりとめもなく色々と書いてしまいました。こういうことを色々考えた後の、最初の言葉に戻ります。

楽しいことばかりじゃない、うまくいくことばかりじゃない、でも人を信じるというのは素敵なことだよ、というシンプルなことを丁寧に描き切った繊細さに胸を打たれました。

丁寧に言葉を選んで真摯に理屈を組み立てる伸とひとみのように、一つひとつのシーンを丁寧に積み重ねて表現した素敵な作品。私自身がKis-My-Ft2を好きになったこの時に、いちキスマイファンとしてこの作品に出会えたことを、とても嬉しく思いました。

 

きっと今も、伸さんとひとみさんは、この世界のどこかで時間を刻んでる。

 

 

レインツリーの国 (新潮文庫)

レインツリーの国 (新潮文庫)

 

 

*1:ミサコさんいいキャラでしたよねーっていうことも後で書きます

*2:映画では、お父さんは写真を見てもしかしたら伸を思い出すかも…という希望を残した終わり方にしていましたね

*3:ちなみに玉森さんも雑誌でここのシーンが結構好きだと語っていてとても嬉しくなりました

*4:黒コマっていうのかな?

*5:間違ってたらすみません

わたしが勝手に選ぶ、千賀健永さんの印象的なコメント2015

キスマイにハマってからのこの一年、コンサート、テレビ出演、雑誌などいろいろなお仕事を拝見していたのですが、その中でもかなりテンションが上がったものの一つが、千賀さんの「ナカイの窓」ソロ出演でした。まずナカイの窓に呼ばれること自体が光栄なことであり、さらにそのテーマが、私の大好きな「MC」という点を評価されたということもあって、大変嬉しく思っていました。

  

mgmcnlife.hatenablog.com

 詳しくはここに書いたのですが、私は以前から、キスマイでは北山さんが仕切るけれども、舞祭組では千賀さんが仕切らなければいけない、という特殊な状況におかれている千賀さんのMCに不思議と惹かれていました。そんな中でお声をかけてくださったナカイの窓のスタッフ陣の皆様には本当に感謝です。

まだまだ世間には、千賀MCのイメージなんてない。そもそも本当に向いてるの?と思う方もいらっしゃると思います。もちろんまだまだ経験不足だと思います。けれども、この放送の中で、千賀さんが南海キャンディーズの山里さんにあこがれているということを公言し、私はそれにとても納得したのです。バラエティでの千賀さんを見ていると、印象的でインパクトがあり、いい意味で引っかかるフレーズを残してくれることが多くて。きっと、本当に山里さんを見て勉強しているんだろうなぁ。

というわけで、せっかくなので、今年の印象的な千賀さんのコメントを私の独断と偏見で勝手に集めてみました。

 

 

 ・「キスマイBUSAIKU!?」 3/12放送回にて

禁断の告白というテーマで2位。VTRでは、千賀さんの告白中、相手役を務めた新川優愛さんが涙を流していた。メンバーに、あれは泣いてくださいとお願いしたのかと聞かれて、そうではなく新川さんが役に入って自然と涙を流してくれたのだと説明。

 『新川さん、俺よりもね、俺のストーリーをわかってる』

 
・「キスログ」 5/8 更新分にて

『やっちゃった!!』が1位を取れなかった舞祭組の罰ゲームとしてスカイダイビングをやった時の様子がキスブサでオンエアされた直後の更新。スカイダイビングを普通に楽しんでしまい、全然罰ゲームっぽくなかった横尾さんについて述べる際、

 『正解かどうかは判断できないが、笑顔で楽しそうに飛んで行った』

 

・「キスマイRadio」 6/10(宮田・千賀)放送回にて

宮田さんがA.B.C-Zの塚ちゃんと一緒に秋葉原のフクロウカフェに行った時、一般のお客さんがフクロウを撮っていた写真にたまたま2人が映りこんでしまった。そのお客さんは撮影時には気付かなかったようだが、その写真を見たお友達が2人の存在に気付き、ネット上で拡散されてしまった。

…という話題を受けての、千賀さんのコメント書き起こし。

千賀:その写真、実はオレも見させて頂きましたが、結構がっつり写ってたね。なんか普通に、キスマイのシングルのジャケ写の、前3人と後ろ4人の距離感ぐらい。だから別になんか、不自然でもない。フクロウメインのシングル?みたいな。

宮田:いやいや、不自然だろ、それが不自然だろ(笑)

千賀:なんか、良い感じのポジションだったのよ(笑)。距離感的には、「We never give up?」みたいな。

宮田:あはははは(笑)

千賀:「Everybody Go?」みたいな。それくらいのタイミングのオレらのジャケ写の距離感だったよ。

話題はちょっと際どいですけども、何よりこの話題の前に千賀担に直接呼びかけて賛否両論巻き起こしたあの回なんですけども(苦笑)、でもこのくだりはすごい好き。「フクロウメインのシングル」というフレーズの強さ半端ではない。

 

・「ザ少年倶楽部 サマースペシャル2015 今夜はたっぷりキスマイ伝説」 7/25放送回にて

Kis-My-Ft2とA.B.C.-Z全員出演で、過去のザ少年倶楽部の映像を見ながら懐かしのトークを繰り広げた番組。しかし、なぜか番組開始から全然しゃべらず、動かず、リアクションも薄いA.B.C-Z五関さんに対して、

 『冷凍庫に30分くらい居た後みたいになってるけど大丈夫?』

 

・「キスマイBUSAIKU!?」 8/17 放送回にて

「ヨリを戻したい元カノにカラオケ中に告白」の回。この回で1位、さらにこの前の回で1位と2週連続で1位を獲得した二階堂さんに対して、

 『うぇ~い!二冠堂!!』

 

・「ナカイの窓 次世代ゲストMC選抜回」 8/19 放送回にて

UTAGEでよく中居にされていた口元伸びているいじりをこの番組でもされ、「千賀の口元が長すぎてみんなに当たりそう」という謎のいじりが始まり、みんなが千賀から逃げるというくだりをやり、少し間をとってそれが落ち着いた後の一言。

 『……割と小2くらいからコンプレックスなんですよ実は。あんまりそこまでイジんないでください』

 

・「キスマイBUSAIKU!?」 8/31 放送回にて

「高級寿司店で大人っぽい背伸びデート」でゲストは吉田羊さん。北山さんが1位を取った後、羊さんに、7位の二階堂と一緒に「この二人は全然ダメ」と怒られまくった後、

 『オレ、4位なんだけど……』

 

 ・「キスマイRadio」 10/14(玉森・千賀)放送回にて

玉森さんが小学生の時の淡い恋のエピソードを語る。4年生の時、告白してきた女の子がいたんだけれども、玉森さんは彼女のことが好きではなかった。しかも、その女の子の隣に付きそいのような形で立っていた女の子がいて、玉森さんはその子のことが好きだった、という漫画のような話。しかしここからがすごい。テンパってしまった玉森少年は、告白してきた女の子に「僕、君のこと嫌い」と言って背負い投げしてしまった、という前代未聞の衝撃エピソード(笑)。それを爆笑して聞いた後の千賀さんの一言。

 『おかしいでしょ!ヤワラちゃんじゃないんだから。背負い投げされた時の気持ちも考えて、本当に。ホコリも立つし』

ホコリも立つしwwwww

 

 ・「キスマイBUSAIKU!?」 10/20 放送回にて

この日、ゲストで来た松坂桃李さんについて言及する際、

 『顔から上を交換したい芸能人No.1』

(このコメントは放送ではカットされてしまったようですが、こちらの現場レポに書いてありました。モデルプレスさんありがとうございます!)

mdpr.jp

 

・「キスマイRadio」 12/2(藤ヶ谷・宮田・千賀)放送回にて

 今だったらサンタさんにどんなプレゼントをお願いする?と聞かれ、

 『無限にコラーゲンを生み出せる化粧水があったら欲しい』

 

・「キスマイRadio」 12/9(二階堂・千賀)放送回にて

このコンビでのラジオが2年9ヶ月ぶりだと聞いた際、

 『2年9ヶ月ぶり!?えっ、もう他人じゃん!!

もう他人じゃんwww あー面白い。

 

 

…と、こんな感じで、好き勝手まとめてみました。でも正直、こういうブログを書こうって思いついたのがほんの一週間くらい前で(笑)。なので、いいなと思ったコメントがあっても、それがいつの放送なのかを調べたりするのが大変でした。加えて、たぶんその時はいいなって思っても後々忘れてるものとかもたくさんあるので、ぜひ、「こんないいコメントもあったよ!」っていう皆様のおすすめがあったら、ツイッターのリプとかでお教えください(笑)。こういうことをやりたいなって思うんだったらその時々でちゃんとメモってなきゃダメですよね。来年の参考にします。……来年やるかどうか分かりませんが(笑)。

 ナカイの窓に出演し、憧れの山里さんから直接、「言葉を考えていることが苦にならない。趣味と実益を兼ねてるんですよ」というお話しを聞いた際に、千賀さんは目をキラキラさせながら「アーティストみたいですね」と言っていた。それがイジってる様子でもなく、面白いことを言おうとしている様子でもなく、本気でそう思っているようなので私はびっくりした。なるほど、アーティストかぁ。千賀さんにとっては、面白いフレーズを生み出すことも、歌やダンスと同じように「芸術」なのかもしれない。「表現」という同じカテゴリーなのかもしれない。MC力はまだまだこれからだけど、地道な努力はきっと着実に実を結ぶ。そしてその努力を努力と思わずに、肩の力を抜いて自然に自分の思ったことを表現できるようになれば、さらにもう一歩開けてくるんじゃないかな。そんなことを感じます。 

本日はちょうど舞祭組結成2周年。舞祭組で動く時には北山さんがいないし、他のメンバーにはそれぞれキャラがあるから、自分がやらざるを得ない。だから舞祭組のトーク力をあげるには自分が頑張るしかない。歌やダンスといったパフォーマンスの根幹はもちろん、MCやトークの部分で成長し、貢献したいという千賀さんのこれからを応援して見守っていきたいなって思います。

 

 

 

……ここまで書いておいてなんなんですが、最後に、やっぱり千賀さんは絶対的MCにはなれないんだろうなって思ってしまった、恐怖すら感じる衝撃的な一言を残して終わりにします(笑)。きっと絶対的MCにはなれないけれども、自分の味を出しつつ、メンバーにつっこまれ支えられつつ、頑張ってほしいです。

 

 

・「Momm!!」 10/26放送回にて

ゲストの持田香織さんが、フルマラソンを完走したという話題になった際、

  フルマラソンって、何キロあるんですか?』