重箱のすみ

アイドルとの距離感の取り方は、いつまでたっても難しい

朝井リョウ『武道館』を読んで ―なぜアイドルは恋愛を隠さなければいけないのか?―

はてなブログに登録してから、ジャニーズのみならず、多くのアイドルファンの方のブログを読むのが趣味になった。はてなブログの「ジャニーズ」グループをのぞいたり、私のブログにスター付けや読者登録をして下さった方のところにおじゃましては、色々な考えに触れて毎日楽しくブログを読ませて頂いている。

そんな中、多くの方が朝井リョウさんの『武道館』の感想を書いていらっしゃった。『武道館』は、アイドルを題材にして書かれた朝井リョウさんの最新作の小説だ。普段あまり本を読まない私だけれど、最近アイドル文化にどっぷりハマるようになった人間としてこの本に触れてみたいと思い、勢いで買ってみることとした。

 

武道館

武道館

 

 

 今回はその感想を書こう…と、思っていたのだが、今の私が感想を書こうとすると、自然とストーリーそのものについての話よりも、どうしても、今好きな人達と重ね合わせて感じたことばかりが浮かんで来てしまう。そのため、今から書くことは本の感想ではなく、この本を通じて現在のアイドルを取り巻く状況について思ったこと、考えたことになってしまうのでご了承ください。ストーリーについてはできるだけ触れないつもりですが、ネタバレ嫌な方は本を先に読んで頂いた方がいいかもしれません。

 

読了後、心に重いものがずっしりと残ったような感覚になった。

この小説のすごいところは、とにもかくにもディテールまで徹底された設定と世界観だ。主人公の日高愛子は、女性5人組アイドルグループ『NEXT YOU』の一員である。目標とする「武道館」での公演を目指す中で、彼女達は様々な困難にぶつかる。今の時代を象徴するような、CDの特典商法、握手会、人気メンバーの卒業、ひょんなことからの炎上などなど…。実際、現実世界でも風当たりの強い特典商法について、NEXT YOUの握手会の会場でのファンを見ながら、愛子はこんなことを考える。

当日買いに興じている人たちの声は、すごく楽しそうだ。それなのに、その現象を外から見ている人たちは、怒る。CDに、CDではないものを付けて売ることに対して、怒る。同じ音楽が入っているCDを何枚も「買わせている」と、まるで大量に買っている人の代表のような顔をして、主張する。ついさっきまで手にしていなかった正義感を、急に手に取り、振り回し始める。みんなが怒っているものには、安心して怒ることができる。(p.108)

この部分がまさに、今の私にとってタイムリーな話題で、色々と考えさせられてしまった。ファンが楽しければいいのだろうか、それとも多くの人に受け入れられる道を目指すべきなのか。怒っている人たちの声を聞くべきなのか、怒っている人たちはどうせお金を落とさないのだから聞かなくてもいいのだろうか……。きっと正解はないのだろう。どういう道を選ぶかは、そのグループ次第であるし、そこに正しいも間違っているもないのかもしれないと。ただ、グループの方針とファンである自分の感性があまりにも違う場合は、後々つらくなるかもしれないけれど。

さらに私が唸らされてしまったのは、握手会を「席替え」、ライブを「授業参観」と呼ぶなど、徹底・統一されているNEXT YOUのコンセプト。本当にこういうコンセプトのアイドルいそうだな…と思うほどのリアリティ溢れる設定。だからこそ、彼女達に何かトラブルや事件が起こってしまった時は、実際にあったことのように感じられて胸が痛くなる。

中盤には、グループのリーダー的存在である波奈が、ひょんなことから炎上し、ネットで叩かれるというエピソードがある。そのきっかけは、テレビ番組での自宅紹介の際に波奈のパソコン画面が見切れ、そこには違法アップロードされたアニメ動画のページがブックマークされているというものだった。波奈はネット上で『自分達はいろんな特典付けてCD売るくせに、アニメは違法・無料で見るんですねww』と叩かれてしまう……。この展開は本当にすごい。実際に同じことをしている一般人は多いだろうに、アイドルがそれをやっていると知ると、正義感を振りかざして大いに叩きまくる人達。小さなこととはいえ悪いことは悪いので、アイドルファンも「そんなことで叩くな」とは言えない雰囲気になってしまう。この、些細なことだけれども擁護できない絶妙なグレーゾーン具合が、ファンである人達の心情を慮ってしまうような内容だった。

あぁ、ここまで書くだけでだいぶ長くなってしまった。上記のような部分もとても面白かったのだが、そろそろ本題に入ります。

 

なぜアイドルは恋愛を隠さなければいけないのか?

主人公の日高愛子は、同じマンションに住む幼馴染の大地を、次第に大切な人として意識し始めるようになる。しかし、アイドルという立場上、もちろん一線を越えてはいけないことはわかっている。好きだと認識してしまったら、戻れなくなることはわかっている…愛子は葛藤する。そこでどうしても気になって考えてしまったのが、アイドルと恋愛、そしてアイドルファンとアイドルの恋愛について。

 

先日、「ジャニーズと恋愛」についてアンケートをとっていたブロガーさんがいらっしゃって、私もそれに参加させて頂いた。

moarh.hatenablog.jp

私のスタンスとしては、アイドルだって恋愛しても全然構わないと思っているし、この人だと思う人に巡り合えたならぜひ結婚もしてほしいと思っている。

それでも、そんな私でも思うのだ。自由に恋愛はしていいけど、できるだけそれは隠してほしい。結果的にバレてしまったとしても、隠す努力はしてほしいと。ただ、それがなぜなのか、自分でもわからなかった。「彼女がいるって知ったらショックな人もいるかもしれないから」というのも理由の一つなのだが、どうにもそれだけじゃ説明がつかなかったのだ。この一見矛盾している感覚に当てはまる理由が見つからなかったのだが、この本の愛子を通して、自分なりの結論が出た。

『武道館』では、「選択」という言葉が多く表れる。愛子は、昔から歌って踊ることが大好きで、その純粋な思いのまま中学生の時にアイドルになった。けれど、 高校に進学し、高校3年生になり、周囲のクラスメイトが大学進学やそれぞれの進路に向けて動き出す中で、愛子はアイドルを続けるという自分の選択が本当に正しいのか迷い始める。「アイドルで居続ける」ということを選ぶために、他の沢山の選択肢を捨てているのかもしれない…と考えるようになる。やがて愛子は、アイドルとしていけないことだとはわかっていても、大地と結ばれることを選択する……。

「なぜアイドルは恋愛を隠さなければいけないのか?」

それは、ファンは、アイドルのプライベートについて何もできないからだ。

アイドルとファンというのは、特殊な関係性だと思う。例えばアイドルが、「武道館でライブをする!」とか「もっと大きなグループになりたい」「国民的な人気者になりたい」という具体的な夢を掲げた時、ファンはその夢をアイドルと共有する。そして、CDやDVDを買ったり、現場に足を運んだり、あるいはテレビ番組を見て「面白かった!」とネットに書きこんで評判を高めたり、そういうことをして自分なりに応援する。その力は微々たるものかもしれないが、自分の起こした行動が0.001%でもその人のためになっているのではと思うと嬉しいのではないだろうか。アイドルは、夢を定めてそこへ向かうという選択をした。その選択に自分も加われる。そして、彼ら彼女らが夢をかなえて幸せになることが、私の幸せと感じるような。

しかし、アイドルとしての選択には関わることが出来たとしても、ファンはそのアイドルのプライベートの選択に関わることは出来ない。当たり前のことだけれども、ファンは、その人のプライベートを幸せにすることは出来ない。

私はSMAPならつよぽんが好きなんだけれども、つよぽんは最近色々な発言をしている。「人を愛すことができない」とか「1年休みがあったら婚活したい」とか。そういうぶっちゃけトークを笑いながら見ているけど、その数分後に胸がざわざわしてしまう。私、つよぽんが本当に結婚したいと思うなら、そういう素敵な人との出会いがあればいいなと思うけれど、こればっかりはファンの力ではどうにもならない。普段、微力でもその人が幸せになれることをしている気持ちになっていると、そういう現実を突きつけられた時に戸惑ってしまう。そして、どんなに好きでもこの人のプライベートは幸せに出来ないのだと思うと、無力感を感じてしまう。普通なら本来、現実社会においては、自分に人の幸せが作れる機会なんてそうそうある訳がないのに。

だから、恋愛は隠してほしい。本当はわかってるんだ、その人のアイドルとして以外の部分に関わることが出来ないということくらい。けれど実際、それを突きつけられるとぐらっと揺らいでしまうのだ。私はきっと、好きな人に熱愛報道が出て、でも結局その彼女と別れてしまったとしたら、どうしても気になってしまうだろう。自分には関係のないことだと思っても、どうして上手くいかなかったのか、彼が幸せになる日は来るのか……。でも気にしたところで、私に何が出来るわけでもないのだ。だから、ファンに恋愛を隠すことは、双方が幸せでいられる方法なのだと思う。ファンに無力感を感じさせないようにする、アイドル側からの思いやりなのだと思うことにする。

もしかしたらちょっと特殊な考えかもしれませんが、私としてはこんな結論で落ち着きました。あっ、つよぽんの話を結構してしまったのですが、つよぽんの最近の発言が悪いとか止めてというわけではありません。むしろ、婚活したいとか公に口にすることで、つよぽんの気持ちが楽になるなら、今後も全然していっていいと思います。ただ、例としてわかりやすいかなと思って書かせて頂きました。つよぽんには素敵な出会いが訪れてほしいです。

 

最後にもう一つだけ。

ずっと○○で居続ける、ということ

『武道館』のストーリーの中では、NEXT YOUが武道館公演に一歩ずつ近づいていくに従って、愛子のプライベートにおいても大地との心の距離が少しずつ近づいていく様子が描かれている。アイドルグループとして夢をかなえたいという愛子の思いに嘘はないのに、彼女はその一方でその夢を自ら壊すような心の揺れ動きを見せる。読み進めながら、何とも言えないざわざわが胸の中に広がる。

そんな中、ストーリーはぐっと大きく展開する。NEXT YOUが、2期生として新メンバーを募集することに決めたのだ。メンバーが卒業していっても、グループは存在し続ける。

この箇所を読んだ時、なんだかふっと肩の力が抜けた。それまで読み進めてきた私は、NEXT YOUに対してすでに愛着を持ってしまっていたため、新メンバー募集によって、今までの5人体制の雰囲気が変わってしまうことを嫌がるファンの気持ちも本当によく理解できた。けれどもそれ以上に、「もし今後、愛子が恋愛スキャンダルに陥ったとしても、グループが無くなることはないんだね」という事実が、妙な安心感を伴ってやってきた。

最近とみに、「同じグループで、同じメンバーで、ずっと○○で居続ける」ということの重さを感じる。藤ヶ谷は「20年、30年たったとき、7人そろって笑っていたい」と語った。それがどんなに大変なことか。特に今は、この『武道館』の中のエピソードにもあったように、ちょっとでもスキがあるとネット上の顔も見えない相手に徹底的に叩かれる。過去のことまで持ちだして叩かれる。そういう時代において、定期的にオーディションをして新メンバーを募集する女子アイドルグループは、何かスキャンダルがあった時に本人が叩かれたとしても、グループ全体が叩かれることはあまりないように感じる。大所帯になるほど、一人のメンバーの行動の印象は、全体のメンバーの比率に比べれば薄くなるからだ。

けれど、ジャニーズのグループはどうだろう。デビューのメンバーから追加されることは基本的にない。SMAP以降、解散したグループはないけれども、それは同時に「何があっても人前に出続ける」ということを続けているということだ。事件を起こしてしまったメンバーがいても、脱退してしまったメンバーがいても、それでも人前に出続ける。舞台に立ち続ける。常に人が入れ替わるグループなら、個人のストーリーとして捉えられるメンバーの脱退は、グループ全体が永久的に共有するストーリーとなる。それはとてつもないプレッシャーだろう。

一蓮托生。自分の行動が、グループの未来を壊してしまうかもしれない。常にそんな重さと隣り合わせになりながら、自由も制限された生活をおくる。事件や事故などにも細心の注意を払わなければならない。自分が悪くなくても何か巻き込まれる可能性だってあるし。想像しきれないくらい、壮絶な世界だ。けれどやっぱり藤ヶ谷は語っていた。

「自分のことだけじゃない。それぞれが7人分の未来を背負ってた。だから、続けられたんだと思う」

7人で居続けることは大変なことだ。けれど、7人だからこそ前に進むことが出来た。

彼らもきっと、今に至るまで、様々な選択をしてきたのだと思う。

自由な生活を捨てて、他の何かになる可能性を捨てて。

常にプレッシャーに晒されながら、それでもステージの上でキラキラ輝く人生を、7人で居続けるという人生を、選択してくれてありがとう。