サザンオールスターズの新曲『壮年JUMP』を聴いて2時間泣き続けた
7月25日水曜日。私は久しぶりに時間があったので、フジテレビの「FNSうたの夏まつり」をなんともなしに見ていた。今年はキスマイも出演しなかったので、特に誰を目当てに見るというわけではなかったのだが、King&Princeのキラキラ感に癒されたり、ミュージカルメドレーの迫力に心が踊ったりして、とても楽しく視聴していた。
その番組のトリはサザンオールスターズ。『東京VICTORY』と『壮年JUMP』を披露だった。その2曲目、壮年JUMP。ポップで爽やかなのに、どうしようもなく懐かしく切なくなる。その曲調に心を打たれて、そして歌詞が響いて、胸がいっぱいになって。私は気付いたら泣いていた。
なんともなしに、つけっぱなしのテレビをぼんやり見ていただけのつもりだったのに。気付いたら涙が止まらなくなっていた。
録画もしていなかったので、見返すこともできない。サイダーのCMで聴いたことあるような気がするから、サビだけは知っている。けれどそれ以上のことはわからなくて、慌ててこの曲のことを調べた。そしたら、今度発売される新アルバムに収録予定の新曲だということがわかった。まだアルバムは発売されていないけれど、先行配信はされている。もう、衝動的に、反射的に、ダウンロードした。
そしてもう一回聴いて、さっきよりさらにさらに泣いてしまった。20歳を超えてからこんなに泣いたの初めてなんじゃないだろうか。就職活動がうまくいかなかった時だってこんなに泣かなかった。
SMAPが解散した時だってこんなに泣かなかった。
なんだか、2016年から自分の心の中で渦巻いていた、色々な人に対する、色々な思いが、爆発してしまったかのようだった。抑え込んでいた色々な気持ちが、ついに入れ物から溢れ出してしまったかのようだった。何度も何度もリピートして聴いて、そのたびにより一層泣いていた。さすがに1時間くらい経ったら、頭は冷静になってきて、「明日も仕事だぞー、そろそろ寝ないとヤバいぞー」と 思うのに、それでも涙は止まらない。結局、2時間くらい泣き続けて、やっと寝付けたのは深夜2時だった。
ちなみに、私がダウンロードしたその後、公式ミュージックビデオ(MV)が公開になった。MVも色々な意味で素晴らしいのですが(笑)、まだこの曲を聴いたことない方がいらっしゃったら、まずは歌詞を見ながら曲だけ聴くのを個人的にはお勧めさせていただきます。MVを一回見ると、イメージがそれに固定化されちゃいそうだからね。
歌詞はこちら。
http://j-lyric.net/artist/a000623/l048146.html
そもそも、私は7月25日のFNSでこの曲を初めて聴いたのだが、それ以前にもサザンは多くの音楽番組でこの曲を披露し、その度にSNSなどで話題になっていたらしい。私は最近、長時間歌番組を全然チェックできていなかったので、そのことも全然知らなかった。
だから、ファンの皆様や、当初からこの曲に注目していた皆様にとっては「今更なに?」みたいなところも多々あるかと思いますが、お許しいただけると嬉しいです。
この曲は、発表された当初から、桑田さんが西城秀樹さんをイメージして作った楽曲ではないかと言われていた。同じ時代に日本の音楽業界、芸能界を駆け抜けた仲間の逝去に対して、桑田さんが思うところを表現したのではないかと思われるようなフレーズが出てきたりする。
しかしこの曲のすごいところは、「桑田さん自身が憧れの人に向けて書いた曲」と捉えられるのと同時に、「一人の人間が憧れの人に向けて抱く感情」という、いつの時代にも通じる普遍的な思いを歌っていると考えられるところだ。それを象徴するかのように、この曲のミュージックビデオでは、それぞれの年代をリードしたアイドルをイメージした装いの女性たちが登場する。
そんなわけで、一般人の私は、一般人の私が感じた、この曲の解釈や、イメージした風景を書いてみたいと思います。
1番はまさに、なんでもない一般人であるこのストーリーの主人公と、憧れの人であるアイドルとの出会いを語っている。「目の前に神が降りた」という歌詞はまさにその象徴だ。自分が応援したい人と出会った時って、雷に打たれたように、衝動的に、この人しかいないと思うようになるものではないだろうか。
そのあとの「今、僕は生きている」も最高にいい。現場で、好きな人を見ながら、大声を出して盛り上がっている時、自分の感情がMAXに引き上げられる時。「今、生きてるなー!!」って感じられるよね(笑)
ところが2番からは急に雰囲気が変わる。
「青春の陽は燃え尽きたんだな」「こんなにお別れが辛いとは」で、この人の応援していたアイドルが、引退してしまったり、解散してしまったりして、もう見られなくなってしまった様子を想像させられる。
「僕は1人で歩くのさ」も本当に切ないけれど、アイドルに全力をかたむけてきたファンの気持ちを、シンプルな言葉で的確に表現してくれている。そりゃ、もちろん、自分の好きなアイドルと、今までずっと物理的に隣にいたわけではない。けれど、落ち込んでる時に曲を聴いたり、DVDを見たり、「今日の仕事を頑張れば夜は楽しみにしていたテレビ番組の放送だぞ」って思いながら自分を奮い立たせたり。そういうのって、物理的に離れていたとしても、「一緒に人生を歩いてきた」「アイドルのおかげでここまで頑張れた」って思うものじゃないだろうか。
それが、なんらかの理由でもうかなわなくなってしまい、この物語の主人公はこれから、1人で人生を歩いていかなければならなくなった。でも、この主人公は、そのことに対して、寂しさは感じているけれども、後悔はしていないようだ。「夢ありがとうグッバイ」といい、そして最後にもう一度「僕はメロメロ」という。たとえ、自分の見えるところからいなくなってしまったとしても、アイドルはアイドルであり続けるんだろうなと思う。
桑田さんは、8月8日に放送されたNHKの番組、『クローズアップサザン』で、このように述べていた。
アイドルの許容範囲っていうのは…喜びから悲しみまで全部引き受けるのがアイドル。その辺のエネルギーが、ものすごく強いなと思って。
人前に立つ職業の中でも、特にアイドルは、その人自身が商品である。その特殊性や、だからこそ持つパワーを、表現したいと思っていらっしゃったのかもしれない。
ただ、この曲で歌っている「アイドル」は、アイドルという仕事に限定されるものではなくて。例えば、俳優さんや女優さんや、声優さんや、あるいはスポーツ選手や……。そうやって、人前に出る仕事、誰かの憧れの対象になる人に向ける気持ちは、共通するものがあるし、そういう人達を応援する人にとっても響くものがあるのではないだろうか。
実は、私がこの曲で一番響いたフレーズがある。
一般的に見れば、最後の「夢ありがとうグッバイ」のフレーズが、強烈なインパクトだし、私もそこはもちろん好きだ。
でも実は、その前の部分で。
円になって肩寄せあったライバル ライバル
また逢うまでは達者でな
このフレーズ、みなさんはどんな場面を想像するのだろう。
この場面、桑田さんが西城秀樹さんに向けた歌詞だとすれば、同じ時代を彩ってきたライバルへの別れの言葉として捉えられるだろう。じゃあ、アイドルが好きな一般人のストーリーとすれば、どんなことを思い浮かべるだろうか。
色々な解釈があると思うけれど、私はね、女子アイドルの現場で、コンサートホールから出たところで、いつもの仲間で集まっている男性ファンの方達を想像したんだ。
彼らはまさに、円になって肩寄せ合ったライバル。今までは、仲間だけれども、それと同時にライバルで、自分の応援している子に、自分を見つけてほしくて争っていた。
でもその子がついに卒業、引退ライブを迎える。コンサートホールから出て、いつもの仲間で集まって、涙ぐむ人もいて。ライバルとはいえ、このメンバーで集まってワイワイ盛り上がるのも楽しかった。だけどそれも今日で最後だ。推しが引退しちゃうから。このライバル達と会うことも少なくなるだろう。
「また会うまでは達者でな!」
……って、私はね、そんな場面を想像したんだ。ちょっと想像を膨らませすぎだろうか?(笑)
彼らはきっと、たくさんの寂しさはあるだろうけど、そのアイドルに出会えたことを後悔はしてないんじゃないかなって。「夢ありがとう」「また会うまでは達者でな」って、最後は笑顔で、それぞれの生活に戻っていくような、そんな感じなんじゃないかな。そんなシーンを想像したんだ。
SMAPの解散や、安室奈美恵さんの引退や、渋谷すばるくんの関ジャニ∞脱退や、まゆゆ、さや姉など女子アイドルの卒業や……。
この曲は、多くの「ファン」の切なさやもどかしさを拾いあげながらも、それでも誰かのファンになることの美しさを歌ってくれている。だからこそこんなに、普遍性があり、聴く人それぞれに響く曲になっているのではないだろうか。
私はずっと、小学生の時からずっと、誰かの「オタク」をやっていました。(ここでは、「濃いファン」「熱心なファン」のことを「オタク」と呼んでみます。バカにする意味合いは一切ないのですが、あえて「オタク」と呼んでみます。)
本当は、何度も思ったことがある。
「オタクじゃない人生を選んだらどうなっていたんだろう」って。
今までも時々言われたことがある。「実際に付き合えるわけでもない人のことがどうしてそんなに好きなの?」とか、「そんなにコンサートに何回も行ってどうなるの?」とか。
自分の中では、そういう言葉に反論する言葉は持っている。けれど、時々そういう意見に引っ張られそうになる。
もし、オタクじゃなかったら?
もしオタクじゃなかったら、その分の時間を他のことに使えていたかもしれない。その空いた時間で資格の勉強すればキャリアアップができるかもしれないし、婚活に励めば結婚できるかもしれないし!?!?
私はただ、楽しくアイドルを応援していただけと思っていたのに、気付けばその分、色々なものを選ばずに来てしまった。違う自分になる選択肢を選ばずに来てしまった。
オタクじゃない人生の方が、一般的なイメージの「成功」や「幸せ」が手に入りやすいんじゃないかって、
本当は、何度も思ったことがあるんだ。
それでも、やっぱり、アイドルを好きになるって、こんなに好きな人がいるって、幸せなことだと思うんだ。
今まで、何度かブログにも書いてきましたが。
私は、小学生の時にSMAPを知り、人生で初めてCDを買いました。テレビ番組も毎週録画して、スマスマの月曜日を楽しみに一週間を頑張りました。私に「ファンとしての生き方」みたいなものを教えてくれたのはSMAPでした。
それから、いろんなジャンルのいろんな人を好きになった。すぐ目の前の人のエネルギーを感じられる、生のコンサートや演劇が大好きになり、軽率に現場に足を運ぶタイプのオタクになってしまった。
テレビやラジオや雑誌や、その人のパフォーマンスや作品が見られる日を楽しみにして、「今日のテストが終わったらあの番組が放送されるから頑張ろう」「今日の仕事が終わったらDVDのフラゲ日だから頑張ろう」って、そうやって、毎日を必死に生きてきた。
オタクじゃない人生だったら、もっと他の選択肢があったのかもしれないけど、私はこうじゃなきゃ生きて来れなかったと思うんだ。
小説やアニメではなく、生身の人間――言い方が正しいかどうかわからないけれど――「3次元」の人を応援するのは、自分の気持ちと相手の気持ちが噛み合わないと、なかなかうまくいかない。大変だけれど、やっぱりそれによって感じられる喜びや感動の大きさに、一度ハマったら抜け出せないんだよね。
時には、「ファンがこんなに尽くしているのになんでわかってくれないの!?」みたいな感情になってしまうこともある。
どんなに好きでも、卒業や引退や解散や、アイドルの大切な決断に、ファンはなんら関わることはできなくて。その度に、やるせなさや無力感を感じたりする。
それでも、それでもやっぱり、
誰かを好きになるのはやめられない。
公式MVの最後の場面。サザンのメンバーの後ろで、笑顔で歌い踊るオタクの人たちを見ながら、今年のAKB選抜総選挙での岡田奈々のスピーチを思い出していた。
48グループオタクのみなさん!一つ言わせてください。
自信を持ってオタク人生を貫いてください!
AKB48岡田奈々のメッセージに会場沸く「自信を持ってオタク人生を貫いて」 | マイナビニュース
(書くにあたって参考にさせて頂いた記事一覧)
サザン、安室奈美恵やSMAPを彷彿とさせる新曲「壮年JUMP」が大反響 歌詞にある普遍性を考察 - Real Sound|リアルサウンド
星野源、サザン新曲「壮年JUMP」を語る 「本当にいい歌詞なんですよね」 - Real Sound|リアルサウンド