重箱のすみ

アイドルとの距離感の取り方は、いつまでたっても難しい

彼らはこれからも時間を刻む ―映画『レインツリーの国』―

映画『レインツリーの国』、公開初日に見てきました。

私はその時、感想をこうツイートしました。

楽しいことばかりじゃない、うまくいくことばかりじゃない、でも人を信じるというのは素敵なことだよ、というシンプルなことを丁寧に描き切った繊細さに胸を打たれました。心ときめく国へ連れて行ってくれてありがとう!

一言で言えばこれが全てなのですが、一言で言い尽くせないほど色々と感じたこと、考えたことがありましたので、以下、長々と書いてみます。ちなみに私は、あえて原作を読まずに1回目を見てみました。そのため、映画1回目→原作読む→映画2回目→という流れで、いまこれを書いています。

普段ほとんど映画を見ないし、本も読まないし、有川作品もこれ以外読んだことがなかったし、キスマイに関してもまだまだ知らない事だらけ。そんな、全てに関して初心者の素人が、なんか好き勝手言っていますがご了承ください。そしてもちろん、内容にがっつりどっぷり触れていますので、ぜひ映画をご覧になってからお読みください。

あと、私は、「なんでもかんでも語る」というクセがあります。なんでもかんでも語るのは無粋じゃないか、それは心のうちにとどめておけばいいんじゃないか、と思われる方には、以下あまりおすすめしません、ごめんなさい、ぺこり*1

 

この映画が公開される前、11/11放送回の宮田・玉森のキスマイradioで、ひと足早くこの映画を観た宮田さんが感想を語っていました。宮田さんはこの時点で2回見ていたそうで、その感想を要約させてもらうと、『ネットで出会った2人が初めてデートするシーンで、1回目は普通に終わったけれども、2回目に見たときに、1回見て2人がどういう人かわかってるから、そのシーンでガチ泣き』という主旨のことを言っていました。私はリアルタイムでキスラジを聴いていたこの時点では、「あー、確かに、1回見てからだと2回目に見る見方が変わってくることってあるよね~!」くらいの気持ちでした。でも自分が見終わった時に、この宮田さんの感想の意味が本当に本当によくわかったし、正直この感想に全てが集約されてるんじゃないかと思うほどでした。

1回見て、伸とひとみがどういう人かわかると、2人が最初のデートの時にどういう思いだったのかが一層感じられるようになる。伸は父親に自分だけ忘れられてしまったという心のしこりを抱えて、ひとみは耳が聞こえないことによる様々なトラブルを経験して自分の殻に閉じこもっていて。けれど、そんな2人が色々な苦しみを忘れて自由にのびのびと自分の言いたいことを綴れるメールのやりとりを通して、今までの自分から一歩変わりたいと行動を起こす。2人はこのデートの時に既に、お互い様々なものを乗り越えて一歩踏み出して来ているんだ。それを知ってから2回目に見ると、何気ないデートシーンが、全然違う意味合いを持つように感じられるのでした。

私は見終わった後に、この映画がとても好きだなぁと思ったのですが、それはなぜかというと『人生の一部を切り取って見せてもらっている』という感覚だったからだと思います。ストーリー展開は時系列順に並んでいるわけではなく、最初のシーンは伸とひとみがメールのやりとりを始めるところから。当然、2人にはそれぞれの人生があって、今の性格になるまでに様々なことがあったわけだけれども、観客には2人が交流を深めていく中で少しずつ明かされていきます。

そして終わり方についても、こんなこと言ってしまうとひどい言い方ですが、この映画はハッキリ言って何にも解決していません。ひとみはこれからもきっと、会社では肩身が狭いだろうし、同僚の女性には「なんであの子だけ残業しなくてもいいのよ」なんてさらに陰口を叩かれるかもしれない。お父さんは娘を心配するあまり過保護になってしまうこともあるかもしれません。伸だって、父に自分だけ忘れ去られてしまったことを心のどこかにずっと引っかかったまま過ごしていく*2。そして2人はこれからも、お互いを思いやるがゆえに意見が食い違うこともたくさんあるでしょう。そういうところは全然描かれないし、観客に提示されない。

この映画は、恋愛のスタートからゴールを描いていたわけではなく、むしろ、紆余曲折あってやっとスタートラインに立ったところを描いているんだと感じます。まさに、『最後もやっぱり君』の1番の歌詞にある『旅をした愛し合った語り合いもした/そして信じると決めた』という部分が全てだと思う。2人がお互いを信じると決めた、それだけと言ってしまえばそれだけ。けれど伸とひとみはぶつかりながらも、丁寧に言葉を積み重ねて、お互いを理解し合っていった。その過程をしっかりと描いてくれているから、きっとこの先、何があっても2人は大丈夫なんじゃないか。そう思わせてくれるだけの説得力がありました。

いまからひどいことを言いますが、言うて2時間そこらのドラマや映画で、主人公たちの身に起こる問題がなんでもかんでも解決するわけはないと思う(笑)←ひどい。私の意見ですが、全てが解決する様子を描いてくれてハッピーエンドというのは、見ている側としては気持ちがいいけれど、あまりにもうまく行きすぎて嘘っぽく感じられてしまう。それならば、これから苦い現実も色々待っているだろうけど、それでも大丈夫だ、と思わせてくれる方がリアルに感じられて、私は好きでした。

伸が実家の美容室にひとみを連れて行った時の、伸のお母さんの言葉がすごく胸を打たれて、とても印象に残っています。

刻んで来た時間があったことは真実や。たとえ忘れてしもうても、なくならへん。

これは、家族でキャンプに行った時のことを思い出している伸とお兄さんに言っている言葉ですが、お父さんのことだけを指している訳ではなく、全編にわたって貫いているテーマなんだろうなと思います。彼らには今まで刻んできた時間があって、その中には良い思い出もつらい思い出もあったけれども、それを全て大切にして、乗り越えて。彼らはこれからも時間を刻む。伸とひとみにとって、2人の出会いは人生の大きな転機になるだろうけれど、これがすべてではない。そうやって、この映画内だけで完結するわけではなく、あくまで、伸とひとみの人生の一部を、たまたまこの一部を覗かせてもらった感覚。これからも時間を刻む2人は、今もどこかで私と同じように今という時間を過ごしているかもしれないと、そう感じられる丁寧な作りが好きでした。

 

ここからは、原作を読んでからの印象について。

映画を先に見てから原作を読んだんですけれども、正直な最初の印象は、「ぶっちゃけ伸もひとみも2人ともめんどくさいな!!」でした(笑)。 映画で見ているよりさらに。でもそうやって、めんどくさいなと思っちゃうほどに、自分が何に対して傷ついたのか、どうして嫌なのか、全てをしっかりと整理して言葉にして伝え合う2人。もしかしたら他のカップルなら、何となくケンカして何となく怒って、でも時間が経ったら何となく許し合うこともあるかもしれない。だけど「ちゃんとケンカしよう」という言葉の通り、何となくで通ることを通さない。だからこそ、さらに深くわかりあうことができるのかもしれないなと感じました。

そしてもう一つ思ったのは、これは映像にすることが結構難しかったんじゃないかなっていうことでした。劇中で、2人が実際に会ってデートしているのは、実はたった3回という少なさ。伸とひとみはメールのやりとりで出会い、その後もメッセージアプリを介しての文字のやりとりで話が進んでいく。だから小説ではこれでもいいけれど、これを映像にするとなると、画が変わらなくて単調な印象になってしまう。だからといって、2人にとって大切な「言葉」をやりとりするシーンはあんまり削れない。線引きがとても難しかったと思うんですが、それをとても自然に映像作品に変換されているなと感じました。

例えば、伸がひとみに髪を切ってみないかと言った後のひとみは、「今まで長い髪で補聴器を隠してきた。怖い気持ちもあるけど、伸さんが補聴器を見せた方が楽になるって言うならそうする」という思いになります。ここは、原作ではひとみはメールで伝える箇所だけれども、映画では伸の実家の美容室に2人で向かっている時に直接ひとみが語る。こうやって、原作では文字だけで伝えているところを、できるだけ実際に語らせている。さらにそれだけではなくて、映画ではそのひとみの思いを聞いた伸が何も言わずにそっと手を握る。ひとみの思いを受け入れ、励まし、支えるように*3。「言葉」を大切にしている2人だけれども、そっと手を繋ぐこの空気感はうまく言葉では言い表せない。メールの文字だけでは伝えられないこともある、それこそが2人が出会った意味なのだと感じさせてくれます。そうやって、原作のエッセンスを大切にしつつ、「映画だからこそ」できることを追求して、素敵な作品に仕上げてくださったと感じました。

 

最後に、主演の玉森裕太さんのことを。あえて、「関西弁」というワードを使わずに書いてみます。

玉森さんは、各種雑誌やインタビューでずっと、「伸さんと自分は全然違う」と言い続けていました。私はそれを聞いて、全てが違うわけではないと思っていて。ただきっと、一番違うところが、一番難しかったところなんだろうなぁと、まだまだファン歴の浅い私ですが感じます。それは「感情が表に出るか」というところ。

前項の、原作との違いのところにも大いに関係してくるのですが、この映画は文字だけのやりとりで話が進んでいくところが多く、淡々と進めていくだけでは単調になってしまう。だから、タブレットの画面を見てメールを読んだ後の嬉しさや驚きや悲しさも、大きく表現することが求められていたように思います。伸さんの感情の起伏が、そのまま、この物語の起承転結になる。それは普段、『いつもクール』とか『何を考えているのかわからない』と言われることもある玉森さんにとって、大きなハードルだったのではないかと感じます。実際、雑誌でも、監督にもっと表現を大きくすることを求められて、「自分が十分だと思っていても伝わらないことがあるのかと思った」ということを語っていて。

ただ、それを乗り越えた先に良いものができる。特に素晴らしいなと思ったのは、ひとみとの初デートのシーンでした。ひとみとのやりとりがなんだか噛み合わないし、会ってみたら今までイメージしていたひとみの印象と違ってちょっとワガママだし。最初は小さな違和感だったものが、少しずつ戸惑い、苛立ち、そして怒りに変わっていく。それが一つ一つきちんと伝わってくる。「字幕やったらなんでもええねんな!?」の言い方とかとても好きでした。求められるものは高くて、しかもやり過ぎてはいけないから繊細で。それが出来たことは、玉森さんにとっても大きな収穫だったのではないでしょうか。

玉森さんと伸さんの違うところはここでしたが、じゃあ似ていると思ったのはなにかというと、それはベタな言葉ですけども「芯の強さ」。一度決めたことはやり通すし、絶対に弱いところを周りに見せたくない玉森さん。伸さんも、ひとみと何回もぶつかりながらも、決して投げ出すことはせず、ひとみのことを理解しようと努力し続けた。自分が一度決めたことは絶対に譲らない。その決意やそれに伴う感情が表に出やすいかどうかという違いなだけで、きっと根本は同じなんじゃないかな。だからこそ、伸さんの、柔らかいのに強いという相反する印象を併せ持つところを表現できたのではないかと思いました。

 

 

 ここからは、さらに細かいことを箇条書き。

  • 最初はひとみさんのメールは、(西内さんではない)架空の女性の声で読まれている。けれど、伸さんが街行く人達を見ながら「ひとみさんはどんな声をしてるんやろ…」と感じて会いたいと思って、実際に会えることになった後のメッセージアプリのやりとりでは、今までの女性の声で文字が読まれることはなく、文字が表示されるだけ。架空の女性の声ではなくなるんですよね。ここで、本当に会えることになったっていうのを表現している感じがします。
  • これはどんなジャンルであれオタクの方だったら共感してもらえると思うのですが、ブログやツイッターを見て「この人と話してみたい!」って思う人と会った時って、映画を見に行くような間もなく、「あの作品いいですよね」「あれいいですよね私も好きです」って、ひたすら語る時間になりませんか?だから私、最初に映画見に行くってなった時、「えっ語る時間、そんなに短くていいの!?」って思っちゃった(笑)。原作では、本の趣味が一緒で、フェアリーゲーム以外にも色々な本について語り合っていましたね。映画でそういう場面がもう少しあっても良かったかも。
  • 基本的に、穏やかにゆったりと時間が流れ、それに合わせるように流れるように移り変わる場面の切り替えですが、一面黒い静止画*4が挿入されて切り替わる箇所が、おそらく3箇所*5。初デート前のシーン、映画館で伸がひとみの補聴器を見たシーン、そして伸の父親の手術後の病室のシーン。全部ストーリーの肝となるシーンで、それをより印象づけるように、バッサリ切り替わるようになっている。
  • 特に印象的だったのが、初デート前のシーン。その前のシーンでは、伸が会社で新商品を試食しながら会えるのを楽しみにしているという穏やかで色彩鮮やかな場面なのに、黒の静止画が挿入されて次の場面は、どんよりと暗い雨の風景、さらにけたたましく雨の降る音が鳴り響く。一回目見た時は気付かなかったんだけど、二回目に気付きました。これは、これから始まる初デートで起こることを予感させる不穏な空気を表現しているのかもしれませんね。
  • いちいち言うことでもないんですけど、ひとみの補聴器が見えて、一瞬完全に無音になるところ本当に素晴らしいですね。伸の「頭が真っ白になる」という感じを表現しているように思える。
  • ひとみが自宅に帰ってからのシーン。一回目に見た時、「おそらく原作でもここから視点が伸からひとみに変わるんだろうな」って思って、実際に小説を手にとって読んでみたらその通りだったのですごいなぁと思いました。この、「語り手が切り替わる」感じが映像でもちゃんと伝わってくる。
  • 初デートの後、両親と少し言い争いになって、自分の部屋に戻ったひとみが補聴器を外す。この場面で、ひとみの聞こえを再現するところ、これを劇中に何回も入れず、一回に絞ったのは英断ですね。印象に残るし、結局私はひとみさんの聞こえを全部理解することはできなくて、この劇中でもどこまで聞こえているのかわからないところがたくさんあって、それも含めて分かり合おうとする努力が大切なんだろうなって思うから。「だからこそ努力をしてるんだ」ですね。
  • この作品ですごいなって思うのは、伸とひとみだけではなく、登場人物全員に今までの人生があるんだというのを感じさせてくれるところ。ミサコさんですら、「今まで何でも許されてきたけど伸にハッキリ言われたことがグサっときた」という一言で、バックグラウンドを感じさせられますもんね。
  • 2回目のデートでひとみが帰ってしまった後の伸さんのメッセージ、「足のケガはどうですか?結構目立ってたから心配です」ってさー!!先に帰ったことを責めもせず、そうやって言うところ、爆モテコースだよねー!!なぜ恋愛偏差値低いのかわからん!!
  • 絵馬のシーンかわいいね。素直に「伸さんに私を選んで欲しい」と言えない乙女心。ひとみさんのめんどくささ表してる。
  • 原作にはない、美容室は大阪という設定で、大阪に移動するシーン。画が変わるように、ストーリーに展開をもたせるようにという工夫だと思うんだけど、新幹線の疾走感は、物語が大きく動く前の助走のようで爽快ですね。
  • そしてここ!問題はここですよ!ひとみが、社内で襲われたっていう話をしたときに伸は「そんな時に自分の身を守れて、偉かったなぁ」って言うんですよ。偉かったなぁって、なに!?爆モテコース再び!!恋愛偏差値が低いなんて嘘だ!!
  • こんな時に、「大変だったな」とか「大丈夫か」っていうのは聞いたことあるけど、「『偉い』と言われる」という概念が私の中になかったので新鮮すぎて本当にびっくり。私、正直、最後のシーンよりもここが一番キュンとしたシーンなんですけど、おかしい!?←多分おかしい
  • ……って、ここまで大騒ぎしといて何なんですけど、標準語の「偉い」と関西弁の「偉い」はちょっとニュアンスが違うのかな?
  • ショッピングのシーン、伸さんのファッションセンスは…あれでいいの……?(笑)

 

 

なんだかとりとめもなく色々と書いてしまいました。こういうことを色々考えた後の、最初の言葉に戻ります。

楽しいことばかりじゃない、うまくいくことばかりじゃない、でも人を信じるというのは素敵なことだよ、というシンプルなことを丁寧に描き切った繊細さに胸を打たれました。

丁寧に言葉を選んで真摯に理屈を組み立てる伸とひとみのように、一つひとつのシーンを丁寧に積み重ねて表現した素敵な作品。私自身がKis-My-Ft2を好きになったこの時に、いちキスマイファンとしてこの作品に出会えたことを、とても嬉しく思いました。

 

きっと今も、伸さんとひとみさんは、この世界のどこかで時間を刻んでる。

 

 

レインツリーの国 (新潮文庫)

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*1:ミサコさんいいキャラでしたよねーっていうことも後で書きます

*2:映画では、お父さんは写真を見てもしかしたら伸を思い出すかも…という希望を残した終わり方にしていましたね

*3:ちなみに玉森さんも雑誌でここのシーンが結構好きだと語っていてとても嬉しくなりました

*4:黒コマっていうのかな?

*5:間違ってたらすみません